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Tag: 葬儀

追悼演説

たまたまYoutubeのライブ配信で野田元総理の追悼演説を聴いて、いい演説だなぁと思った。何となく耳当たりのいい単語を並べたようなものでなく、彼自身が自分の心情に最も近い表現を選んで選んで紡いだからだろう、キレがあって聴く人の気持ちを揺さぶった。20分を超える演説なのに、構成やメリハリが見事で途中でダレることもなく一気に走り抜けたので長いと感じなかった。2人きりの控室の件(くだり)なんかはドキドキさせたしね。 オイラも母親や父親の葬儀では喪主としてこんな話をしようと考えていたこともあったけど、結局コロナでそういうこともできなかった。 元会社時代は会社の上司、先輩社員だけじゃなく、取引先の社員の家族の通夜や葬儀にも参列して、それらがとても盛大だったのを覚えているけど、コロナ後はそういう葬儀も執り行われてないんだろうね。 タイの葬儀は一夜で終わらない。だいたい3日から10日くらいやっている。 簡素ではあるけれど、僧侶がたくさん並んでお経を唱える厳かなものなんだよね。マレーシアもマレー系、中華系、インド系それぞれ参列したことあるけど、様式はそれぞれ全然異なる。 様式じゃなくて気持ちということなんだよね。

お骨の日

今日の午後、火葬場で亡くなった義母の火葬が行われた。カミさん、義姉、義姉の長男と長女家族という小さな葬儀だった。死因は癌だが、老衰もあろう。そして、最後にPCR検査陽性反応が出たので、新型コロナ感染者としてそういう対応の葬儀になった。 少し前までは誰も火葬にも立ち会えず、お骨だけが家に帰ってくるというのが一般的だったが、そう言ったところも緩和されてきたのだろう。 同じ日にウチの実家ではオイラの祖父、祖母の分骨式がお寺で行われた。これから先、お墓を管理を誰がしていくのかもわからなくなる時代に備えて、残っているものでお骨を分けたのだ。 オイラの実家とカミさんの実家でたまたま同じ日にお骨を扱うというのも奇遇な話だ。 葬儀とかお墓といった日本古来の習わしもこれからどんどん形を変えていくのだろうと思う。

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