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Tag: マレーシア

動き始める週

カミさんが明後日帰ってくる。 緊張する。 その日たまたまタイは祝日なので、息子とは 「朝から大掃除な」「わかった」 と契りが結ばれている。 そして、来週からマレーシアだ。 こっちも緊張する。搭乗や到着後のルーティンをすっかり忘れてしまっているので、なんかミスをしそうだ。 2020年2月以来のマレーシアだ。 まずは、クレイポットイーミーやインニョンなど好物のローカル飯を食いまくろう。

役所はどこもダルい

カミさんが一時帰国してからまだ数日しか経っていないのに、昨日の晩飯はオイラと息子でもうマックと言うねw あっと言う間に食生活が行き詰まり、破綻するこの現実。冷蔵庫や冷凍庫の中には食材がパンパンに残されてはいるのだけど、それを解凍して調理するという想像をすると思わず冷蔵庫のドアをバタンと閉めてしまう。 今晩の飯はどうすっかなー。 2年以上入国できなかったためにワーキングパーミットの更新ができなかったため、先月新規申請を行った。承認が下りて、パスポートへのエンドースメントなど現地での署名が必要になってくるため、タイミングを予測して6月中旬に2週間のマレーシア滞在をアレンジしたが、どうも間に合いそうにない。 仕方がないので今回はツーリストとして入国し、ご無沙汰しているクライアントや取引先への営業回りなどをしたらバンコクに戻ってくるしかない。 そして、承認が下りたらまた署名のために行くことになるのだ。 なんか、このリモート時代にもはやワーキングパーミットって取らなくても良くない?と思い始めている。

大げんか

昨日、マレーシアを任せているベロニカと千朝が喧嘩したと千朝から聞いて心配していたが、今日仲直りをしたとまた報告があって、二人のチャットのやり取りが送られてきた。 なんかお互いに「あんたがいないとダメなのよ」的なやり取りでうれしかった。 同年代の女性同士が仕事で大喧嘩をしてすぐに仲直りができたというのはとてもよかったと心からホッとしている。 みんなやっぱりさぁ、息抜きやリフレッシュができない日々が続いているのは辛いよね。 今日は某日系クライアントの本社海外事業部とオンライン会議をやったけど、 「もう2年バンコク行ってないですよ〜。ずっとここですよ、辛いですよ〜」 とボヤいていた。 日本からのタイ出張は楽しいし、絶好の気分転換だしね(笑)。

アンパンチを封印せよ

始まっちゃったんだね、戦争が。 結局古今東西、世界の指導者に「最後の最後、自国の意思を通すには武力」という確固たる信念がある以上、ここに行き着くのだ。 その肯定感は幼少期から育まれてしまう。スーパーマンもバットマンもスパイダーマンも喝采を浴びる世界のヒーローは「武力」で悪を制する。ウルトラマンが街を蹂躙する怪獣の前に立ちはだかり、スペシウム光線を出す前に 「まあ、ちょっとここへ座れ。何がそんなにムカつくんだ、話してみろ」 というシーンはなかなか見ない。 戦争をなくすにはまずアンパンマンがアンパンチを封印するところから始めないとダメなのだ。 さて、タイの入国規制が3月1日から緩和される。いよいよ渡航が可能になってきたので、まずはマレーシア出張の手続きやスケジュール調整だ。2年間空けていたので、オイラの就労ビザは切れてしまった。新たに申請を開始し、承認が降りたところで現地手続きに繋げていく。 1ヶ月くらいはマレーシアかな。 それが終わったら一時帰国したいな。5月、6月ごろ戻れるかな。

マレーシア渡航

オイラもカミさんも7月29日でワクチン接種の日時が確定した。まだ1ヶ月以上あるけど接種の遅れている東南アジアのタイで見通しが立ったことは評価したい。(アストラゼネカ はいろんな国が「どうぞどうぞ」になってるから余っているのかね(笑)) でもそのアストラゼネカ を打っている当の英国が劇的に感染抑制に成功して、保留していたドイツも使用を再開ということだし、要は素人の風評よりきちんと結果を見定めるということが大事だよ。 最近は身近な知人友人からも「接種終わった」という報告を耳にするようになったし、きっとここからの進捗は早いんだろう。 昨日マレーシアのスタッフといろいろ確認したのだけど、オイラのマレーシアでの就労パスがイミグレで承認されるのが7月なかばの見込み。それから60日以内にパスポートへのエンドースメントを行わないと無効になる。つまり、9月なかば。現時点ではマレーシアロックダウンのため、バンコク〜クアラルンプール間のフライトはない。物理的にタイからマレーシアに移動することができないのだ。 こんな状況でもマレーシアのイミグレが何かしら特例措置を講じてくれる可能性はゼロに近いとマレーシアのスタッフも言う。もし8月の入国が叶わなければ、今までの更新手続きは無に帰し、再度最初から申請し直しとなる。手続き費用だけの問題ならば飲み込めるのだが、再申請が承認されない可能性がある。それがマレーシアなのだ。 1991年から30年間、第二の故郷としていつも身近にあって月の半分は滞在していたマレーシアが今はとても遠く感じる。

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