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Tag: 親父

氷解のドラマ

ウチの親父は姉と弟の3兄弟だったが、30年ほど前から縁を切っていた。いろいろなことを端折ってものすごく簡単に言うと、代々の土地である実家の相続で揉めたからだ。 昨日実家で親父の介護をしている弟に祖父母の入るお寺から納骨管理の件で電話があった。親父は高齢で細かい手続きや判断が利かないこともあり、弟がお寺とのやり取りを進める上で、長く音信不通だった親父の姉弟に相談をする必要があった。姉(我々からすると叔母に当たる)は、10年ほど前にすでに他界しているので弟(我々からすると叔父に当たる)に電話を入れた。叔父と弟は長い不通の年月を遡りながらお互いを労い、懐かしんだ。 叔父は兄である我々の親父から自分のことを悪く伝えられているだろうと思い、我々にも連絡することができなかったと言った。確かに弁護士を立てて争うほど叔母や叔父と敵対していたし、彼らのことを激しく罵るようなこともあったかも知れない。 叔父との会話の途中、弟が 「親父さんはもうだいぶボケてるからね、昔の土地がどうだったとか、裁判がどうとかって話を全然覚えていないって言うんだよ」 と叔父に伝え、親父と電話を代わった。受話器の向こうで身構えて息を飲んでいる叔父の鼓動が伝わるようだ。 電話を代わった親父が 「◯◯かい? ほんとに申し訳ないねぇ。私も90になっていろんなことがちゃんとできなくてねぇ・・。ほんとにすみませんねぇ」 と言うと、叔父が 「いや、申し訳ないなんて言わないで。何も申し訳ないことなんかないんだから、△△ちゃん」 と泣きそうな声で言った。何か全てが氷解していく瞬間で、オイラも胸が熱くなった。 長い年月という時間なのか、それとも認知症状なのか、それは自分にはよくわからなかったが、人の心や愛憎というのは変わるものなのだな。 オイラは小学生から中学生になる頃、この叔父からビートルズを教わった。今日は久しぶりにビートルズを聴いてみようか。

60年前の親父

紀元節(きげんせつ)は、古事記や日本書紀で日本の初代天皇とされる神武天皇の即位日をもって定めた祝日。 日付は2月11日。 1873年(明治6年)に定められ、1948年(昭和23年)に占領軍 (GHQ)の意向で廃止された。 かつての祝祭日の中の四大節の一つ。 世界の国々では何を持って「建国の日」とするのかマチマチであるが、日本はこの初代天皇即位を「建国」とした。 そしてこの日はオイラの親父の誕生日でもある。 親父の名前は、この紀元節の「紀」をとって「紀(おさむ)」という。 今年でとうとう90歳の大台に乗った。 お袋は2年前に他界したが、親父は特に健康に問題もなく、オイラの弟と2人で静かに暮らしている。 これは、母入院時に親父を中華街に連れて行った時の写真。紛れもなく、徹底的にハゲの家系である。 また、父は東京外国語大卒で貿易会社に就職しながら、公式な通訳の免許も持つ外国語の達人であった。けっこう昔からハゲである。 その貿易会社時代、親父とお袋は長く香港に暮らしていた。オイラと弟は香港で生まれた。お袋が抱いている赤ちゃんは弟である。後ろの車がとんでもなくかっこいい。 コロナのお陰でなかなか一時帰国ができないが、親父が元気なうちに会いに帰りたい。 親父、お誕生日おめでとう!今晩、曾孫達の顔を見せがてら電話を入れてみる。

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