Jalan Jalan

マレーシア、タイから発信するアジアお気楽情報サイト

Tag: クアラルンプール

金がない!

銀行アプリを使ってちょっとだけ残っている残高をベロニカの口座に送金し、ベロニカからその分を現金で貰えばギリ生存できるかも と考えて離陸する前の機内でぴこぴこやってみるも、何度やっても「Failed」となり送金ができなかった。仕方がないのでそのまま飛び、KLに着いてから試してみたが、今度はマレーシアで契約しているキャリア(Digi)のネットが繋がらない。銀行に電話をかけてみるも、そもそもDigiが切られていて電話がかけられない。この現代社会の中で急激な孤独に苛まれる。この流れは、アパートに着いたらエントランスカードがない、部屋の鍵がない、車のバッテリー切れで動かない、といった「絶望パッケージ」への入口じゃないかと震えがくる。 とにかく電話やネットが使えない以上、直接人に会って相談するしかない、と銀行の窓口へ行ってみる。事情を説明すると、「就労ビザの更新がされていないので凍結されている」と言う。まあ、とにかく原因が判明したのは希望の光だ。しかしもう30年以上もマレーシアで銀行口座を持っているけど、就労ビザの更新のたびに銀行に報告義務があるなんて初めて聞いた。ともかく銀行記録へのアップデート手続きを行い、アプリを使えるようにしてもらう。これでタイなら「カードレスATM」が使えるのでスマホさえあればATMで現金を引き出せるのだが、マレーシアは一歩遅れていて、「カードレスATM」ができない。と言うことで、ATMカードを再発行してもらうことを思いつく。オイラ、天才。なんだかんだもう銀行には2時間ほどいるがATMカードを再発行してもらうことができた!ATMマシンからRM500が出てきた!このお金を握りしめて、今度はKL市内にあるDigiのお店に走る。引き落とし口座が凍結されて、支払いができていなかったため、電話アカウントも凍結されていたのだ。窓口で事情を説明し、握りしめていたRM500からRM485を払ってアカウントを復活させてもらうとネットが繋がった。社会と繋がった。 すでに夕方。昼飯も食べてないのでDigiの隣にあったマックへ行き、注文マシンでセットをオーダーしようとしたけどできるだけ節約しなきゃと思い直してお腹を減らしたまま帰宅。 冷蔵庫の中にあったお土産のキットカットを食べて凌いだ。 さて、これから何とか25日まで生き抜くぞ、オイラ。

財布忘れた!

これからマレーシア。空港のラウンジカードを出そうとして自宅に財布を忘れたことに気づく。タイバーツとマレーシアのATMカード、クレジットカードなど全部入っている。 さすがに海外出張に現金・カード無しで出たことはないので、ちょっと凍る。というか今、凍りながら「ひと言」を書いている。 タイから銀行アプリでマレーシアに送金しても下ろせないしな。QRコードスキャンで払える店は銀行アプリで何とかなるかな。屋台のイーミーやインニョンは食えないのかな。お客さんとの接待はどう乗り切るか。 久々に痺れる海外出張になりそうだ。

若い自分に励まされ

元会社(DIK)時代からお世話になっている先輩から大昔にオイラが社内報に寄稿した記事が送られてきた。昨日の「この先どうする?」の「ひと言」を読んだ後でこの社内報記事を見つけて、いいタイミングだとわざわざ送って下さったのだ。 その原稿はオイラが33歳、マレーシアのクアラルンプールで苦労して支社を立ち上げた時に書いたものだったが、こんな気持ちだったんだなぁ、と忘れていた記憶が蘇ってきた。こんな出だしだった。 ことし一月三十一日、本社より田中社長、矢部取締役、DIKタイより川村社長をお招きし、DIKマレーシアのオフィシャル・オープニングが挙行された。南国の青空にはためくDIKの社旗を仰ぎ見ながら、この日に至るまでのさまざまなことが思い起こされ、感きわまった。 三年半前の赴任当初、私は重度の下痢に悩まされ、通じない会話にいらだち、はかどらない仕事に焦り、体重が八キロ減った。ひとり寂しくホテルの部屋で、「これから俺はどうなるのだろう」と不安いっぱいだった私を元気づけてくれたのは、DIKの仲間から餞別にもらった「スーダラ伝説」と「ひばり大全集」(二枚組み)のCDだった。植木師匠は、「いろいろあるよいろいろね そんなこたどうでもいいじゃねえか」と笑いとばされ、ひばり先生は、「川の流れのように」とやさしく諭してくださった。 今の自分からすれば「おい、そんなのは苦労のうちに入らねーぞ。その後、とんでもねぇ、苦労人生が待ってるからな」 と無慈悲な声もかけてやりたくなるが(笑)、この時は、なんかこう、一つの山を乗り越えて、これから果てしない希望が満ちているという斜め上向きの眼差しが思い浮かぶ。 まだまだ初心を忘れずに、挑戦し続けていったろうやないかい、という気持ちになった。

マレーシア駐在時代

今月頭、息子が日本に帰国する前の最後の週末に、彼らが子供の頃から撮り溜めた写真をスライドで上映した。 マレーシアのランカウイ島やモルディブ、オーストラリアのダーウィン、パース、ギリシャやデンマークやスウェーデン、カナダのトロントやバンクーバーなど、マレーシアという地理的優位さや海外駐在員という身分を利用してずいぶん豪勢に旅行していたもんだなと思う。 当時は日本の給与はそのまま日本の口座に振り込まれ、その上でそれ以上の海外勤務手当というのをもらう時代だったから海外駐在員はそれなりに生活が楽だったと思うが、今はそんなこともないらしい。 写真のスライドの箱の隅から子供たちの2歳の時の声、とか4歳の時の声、とか古いカセットテープが出てきたが、もはや我が家にはカセットプレイヤーがない。 そのためにプレイヤーを買いに行くのも面倒だし、どこかに落ちてないかな(笑)。

KLの夜景

昨夜、KLからBKKに戻ってきてバッグを部屋に置いたらすぐにカミさんとガーデンパブに行き、侍ジャパン優勝で乾杯すると大谷の話だけでビールを飲んだ。 KLでははらまきとtomoちゃんとバンヤンツリーの58階にあるルーフトップバーでKLの夜景を見ながらビールを飲んだ。 どうですか、この夜景。 スマホで撮影した写真だけど、美しくないですか?

妄想アンサー

4月半ばにあるタイの正月&水掛け祭りのソンクランにレンタカーで北海道旅行を回ろうと思っていて、積丹半島で是非寿司を食べたいとオススメの店をChatGPTに尋ねてみた。 まず、実在しない架空の寿司屋を創作した。 「そんな店はないよ」 とツッコむと、今度は、 「積丹には寿司屋はあまりない」 と言い出した(笑)。 「わかりません」と言えずに適当なことを言ってしまう人たちはオイラが住んでる国にも多いが、知ったかぶりをしないよう相当鍛えないとダメだな、こいつ。

大谷の結婚

今日は仕事しながら中継ライブを聴いていたよ。 試合前に大谷が選手全員に 「どこを見ても憧れの選手ばかりだけど、今日だけは憧れるのをやめよう。彼らを超えて世界一になるためにここにいるんだ!」 とスピーチする動画を見て、カッコよすぎて泣けたわ。 昼休みにスーパー行って酒とつまみを仕入れてきたので、もう夕方から飲むわ、オレは。 ところで「大谷の結婚相手が誰だったら許せるか」というテーマで女子たちが討論をしたらしいんだけど、最終的に辿り着いた1人が 芦田愛菜 だったらしい(笑)。 女子アナたちの猛アタックには屈しないで欲しいと。

空港の人々

昨日の昼頃にバンコクからクアラルンプールに入った。今回初めて、空港のイミグレが欧米人や中国系観光客で大行列になっていて 「コロナ前が戻ってきたんだなぁ」 と実感した。 タイもマレーシアもコロナの3年間に空港のシステムやイミグレの処理能力向上などにまるで着手してなかったのがハッキリとわかるのだ。 空港というのは、その国の第一印象と最後の印象を与えるとても重要な場所なのに、まずそういうことには無頓着。さすがに税関で荷物を開けさせ、難癖を付けて公然と賄賂を要求するという場面は見なくなったが、基本的にそれ以外はオイラが初めて体験した30年前と何も変わらない。 きっとタイもマレーシアも変わることはなく、ずっとこのままだろう。 まあ、それが好きでここにいるんだけど(笑)。

マレーシア留学のわけ

昨日はJalanJalanソフトボールのメンバーと飲み会。 オイラ入れて集まった8人のうち、4人が大学生。その4人全員が高校球児。だから1〜2年前まで甲子園目指して野球をやっていたほぼバリバリの現役なのだ。というか、オイラ以外の7人は、全員、高校球児、そのうち2人は大学、実業団野球までやってる連中。野球の話になるとオイラのアウェイ感、わかってもらえます?(笑) そんな中、大学生の彼らに 「なぜ、マレーシア留学なの?」 と聞いてみた。 大学生1:大学進学して野球を続ける気持ちはなかった。就職しようかなと思ったら母親が「海外留学したら?」と勧めてきた。いろいろ調べたら費用も安いし、マレーシアがいいね、ということになった。 大学生2:進学したい大学の受験に失敗した。浪人するのやだな、と思っていたら友人がマレーシアに留学することを知り、ついていくことにした。 大学生3:高校野球をやっていたから受験勉強が間に合わなかった。留学したいと親に相談したが、親は大反対だった。それでも何とか説得した。本当はアメリカ留学したかったが、金が足りないのでマレーシアになった。 大学生4:高校卒業間際に母親がマレーシア留学の話を勧めてきた。特にこうしたいという進路がなかったので、未知の国マレーシアに行ってみることにした。 ということだった。 まあ、それほど積極的にマレーシアに留学したいという意思があったわけじゃないね。そうすると今200人を超え、なお増え続けているという日本人留学生たちも、何となく将来英語とか身につけておくと社会に出て可能性が広がるという親御さんの意向を背負いながらここで勉強している感じなのかね。 確かに、日本の大学出ても英語すら喋れるようにならないもんね。日本が沈みゆく中、国外で生きられるスキルを学ぶのは正解だろうね。

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