Jalan Jalan

マレーシア、タイから発信するアジアお気楽情報サイト

Author: Jun

外食の日

昨日は昼に柳家三之助師匠とオフィスそばの巨大フードコートでランチを食べ、食後にカフェでタイティーを飲んでいろんなおしゃべりをした。 と言ってもオイラはほぼ聞き役でほとんど師匠が話しているのだが、やはりお話のプロは「間」がいいのかずっと聴いていても疲れず心地良い。 師匠がフードコートで食べたぶっかけ飯は気合の入った辛さだったらしく、普段は甘い飲み物は飲まない師匠が甘さで有名なタイティーを 「今は、これがありがたいざんすね」 と目を細めていた。 夕食は久しぶりの奈須宏とずんこの3人でスペイン料理へ。 28歳でタイにやってきたあのヒロがもう40歳だってよ。その上、お会計が来たらサッと伝票を奪ってクレカを乗せて「今日は僕が」と。時はすごい速さで過ぎ去ったのだなと(笑)。

アバター爺さん

今、オイラの会社(タイ)では日本のパートナー(京都支社)とその取引先(東京本社)と3社共同で一つの仕事をやっている。それぞれに複数人のチーム同士で、打合せやコミュニケーションも複雑になるので、バーチャルオフィスで仕事をする。 誰か特定の人とだけ話したい時は自分のアバターをその人の隣まで移動させるとオンラインで打ち合わせが始まる。複数で会議をしたいときは会議スペースに集まると自動的に全員がオンラインで顔を見ながら打ち合わせできる。 出勤、欠勤の状況や、誰が仕事中で誰が休憩中かもわかる。休憩中の人の隣へ行けば雑談もできる。 オイラはその仕事に直接関係ないけどアバターをもらったので、ここに入っては庭を散歩したりキャンティンでコーラ飲んだりして彷徨く変な爺さんになっている。

死んだ時のお願い

先週、たまたま娘と息子とカミさん、オイラの4人だけで夕食をとる機会があったので、オイラとカミさんから自分たちが死んだ時のお願いについて改まって話をした。 お墓は要らない。 Jun家でもカミさんの実家でも分骨や墓仕舞いを行い、自分たちの先祖の「墓の世話」を子孫が見るというしきたりを捨てた。先祖から脈々と同じ宗教のもとで、同じ土地、同じ国で暮らすことが前提だった時代には成立するが、我が家のように今後自分たちやその子孫がどこの国のどこの地域でどんな人種と結婚してどんな暮らしをするかわからない時代には、墓運営の負担は無用だと考えた。 火葬したら散骨して。 場所もこだわらない。散骨業者が一定量まとまると何処かに散骨してくれるらしい。そもそも無宗教で生きてきた。 骨を少しだけ残してくれるなら、お父さんとお母さんの骨を小さな一つの骨壷に一緒に入れて欲しい。 通夜も葬儀も要らないから1日だけ2人でお父さん、お母さんの話をして欲しい。 娘も息子もちょっと神妙な顔をしていたが、了解してくれた。

久しぶりのパタヤビーチ

先週の金曜、土曜と思い立ってパタヤに行ってきた。4連休中の2日目にリゾートホテルの部屋が残っているかというと、まだ少し残っていた。パタヤ、本調子ではない。 何しに行ったかというと「Walk & Jazz」を撮りに行ったわけで、砂浜でのんびりすることもなく 35,000歩も歩いて歩いて歩き回ってきただけである。

柳家三之助師匠と

タイは今日まで4連休だった。 連休初日はちょうど日本から遊びに来ていた柳家三之助師匠と晩御飯を食べようということになり、ソイ33に移転したゲッタワーへ。目当てはチェンマイのカオソーイ(ココナッツカレーそば)。 その料理も含めた三之助師匠の1日が紹介されているので見てみて。 ゲッタワーからの2次会は漫画家ずんこ行きつけの「Kaguya」という日本人経営のバーへ。 スコッチウィスキーの話などしながら深夜まで止まらぬおしゃべりだった。 4連休2日目は急遽思い立ってカミさんとパタヤへ。中国人観光客がまだゼロということもあり、まだピークの3割程度かな。お店も閉店したり、改装中というところがまだまだ多いようだった。 コロナの爪痕はすごいね。

微妙な関係

今、某日系企業のブランディング動画の企画をしているんだけど、出てきた企画案の中に韓国関連のアイテムやBGMを使用する案があった。 確か、この会社は徴用工訴訟で名前の上がっていた会社ではなかったかと思い出し、調べてみたらやはりそうだった。 この提案はマズい。本社が承認する云々の前に提案すること自体がマズい。タイの人たちは、そういった日韓の政治問題まで把握しているわけではないので仕方がない。 中国、東アジア、インド、ASEAN界隈は政治的にもお互いに微妙な関係性を持っていることが多いので、 「アジア地域に向けたマーケティング」 と括られると難易度が上がる。それぞれの歴史や事情をわかっていないと事故ってしまう。 グローバル化って難しいよね。

昨日はワイン試飲会に行ってきた。 我が家からスクムビット通りに出たところの斜向かいにあるハイアットリージェンシーのボールルームに世界各国のワイン業者が集まって自慢のワインを好きなだけ飲ませてくれるとあって大勢のワイン好きで賑わっていた。 オイラは大して味もわからないし、すぐ酔っ払ってしまうのでちょこっちょこっとだけであとは料理やスイーツを専門に渡り歩いていた。 お皿にアダプターを装着して食べながらいろんなワインを飲み歩きできる。 今回オイラとカミさんが優勝に選んだのはイタリアのこのワイン。 濃厚でちょっと甘みがあってとても美味しかった。(ワインの味の表し方が稚拙ww) オイラとカミさんは勝手に「タランチュラ」と呼んでいた。

洪水渋滞

昨日は夕方からの豪雨で冠水する道路も多発してバンコクの交通が麻痺した。オイラがバイクで晩飯を食おうと近隣を走ったが小さなソイの奥の方まで駐車場状態になっていた。 交差点を我先に抜けようとして車が交差店内に殺到してどうすることもできなくなり、結局どこの道路もどこにも逃げ場がなくなるという閉所恐怖症には耐えられない事態になってしまったのだ。 ソイ11にあるイタ飯屋に入った時に店の前にあったこの白い車は、オイラがビールを飲んで、パスタを食べ、さらにはデザートにティラミスまで食べて「食ったぁ〜」とお腹をなでなでしながら外に出た時に、全く同じ場所にいた。 今朝Tiktokを見てみたらムアントンタニの住民がこんな動画をアップしていた。 もはや災害だよね、これ。

客家レストラン

クアラルンプールの中心地にある「客家レストラン」の敷地がパビリオンに170億円で買収されたらしい。 客家レストランは、たぶんマレーシアに関係したことがある日本人には最も有名で馴染みのあるレストランだろう。日本から出張者が来ればまず必ず1回は訪問することになる、それほど鉄板のお店なのだ。 JalanJalanでもずいぶんオフ会でお世話になった。フカヒレと卵のレタス巻きとか、白いパオに乗せて食べる豚の角煮とか、そこからなだれ込むスチームボート。最近はわざわざ行くことがなくなったが、懐かしい思い出のたくさんあるいいお店だった。 SNS上ではマレーシア在住日本人たちが 「なくなる前に食べに行こう」 と書き込んでいる。 実際、移転なのか消滅なのかわからないが、客家レストランならあそこまでKLの一等地でなくてもやっていけるんだろう。それともこれを機会に長い歴史に終止符を打つのだろうか。 次回時間があればオイラも食べに行っておきたい。

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