Author: Jun

凪の休日

今日バンコクは祝日なので、寝不足も回収しホッとしているところ。今年もあとわずかになった。押し迫ったところで、ミニライブやいろんな同窓会でたくさんの交流ができた。タイにはほとんど友だちのいない我が家なので、この2週間で2年分の交流をした思いだ。とにかく記憶がすぐに薄くなっていくので、話した人たちとはできるだけ一緒に写真を撮った。しばらくはその写真で記憶の上塗りをするつもり。 そう言えば、高校同窓会に現在91歳になる先生から届いたメッセージが読み上げられた。その中に 「昔を懐かしむにはエネルギーが居るんだぞ」 という言葉があった。 歳をとると、もう懐かしむこともできなくなってくるのだろうか。 。 。

同窓会の翌日戻り

昨日の深夜にバンコクに戻ってきた。滞在が長かったこともあって、また戻りの前日が高校同窓会で遅くなったこともあって疲れた。だから深夜2時のカブからの「遊ぼう」攻撃も迎撃することができなかった。 卒業以来約半世紀ぶりという人たちも多く、容貌はお互いに変わったが、声や話し方、仕草なんてのは人間一生変わらないんだなと思った。だからしばらく話していると時空を超えてあの上井草の高校の教室にいる錯覚に陥るんだよ。本当に不思議な体験だよ、同窓会ってのは。 Masさんもいたねw高校時代に2週間くらい付き合った彼女がMasのところに来て 「私のこと、覚えてますか?」 って言われ、 「お、覚えてるよ」 とドギマギしてたので笑った。

ミニライブ

昨日は新橋・内幸町界隈の貸しスペースでミニライブをやった。チューリップを8曲にジョンレノン1曲。 お客さんは20人ほどでほとんどギターの桑原とそのパートナーが誘った皆さん。 師走の忙しい週末に来ていただいて忍びない。

紛失物

義姉のいる我孫子に行っていろいろバンコクに持って帰る荷物をバックパックに入れて常磐線に乗ったカミさんは、東京駅で中央線に乗り換え、神田駅に到着した辺りで常磐線にバックパックを置き忘れてきたことに思い当たり焦りまくってLINEしてきた。 背中に背負っていたバックパックを腕から抜いて「降りる時に背負っていけばいい」と思いながら東京駅でそのまま立ち上がって車両を降りてしまったのだ。 シチリア旅のための買い出し品もあったので、そのバックパックも含めて新たに買い直さないといけないと憂鬱になりながら西荻窪に戻ってきた。でも、弟と3人で西荻の鰻屋で鰻を食べ終わった頃には 「美味しかったねぇ」 とその憂鬱もほぼ霧散していた様子だった。 今朝はこの冬一番の冷え込みとなり、我々には辛すぎたので、早朝から開いている近所のワークマンで極暖靴下を買って帰宅。オンラインでJRに紛失物情報を登録していたカミさんのスマホに 「似ている品物が見つかりました」 と連絡があった。当たりなら大変嬉しいし、さすが日本だなと感心しながらカミさんは紛失物センターのある品川駅に走って行った。

台湾人でーす

日中関係の冷え込みで中国人旅行客が激減しているとニュースやワイドショーでやっている。インバウンドの聖地でもある箱根。その玄関口である箱根湯本に乗り入れる箱根登山鉄道で働く友人が、 「週末の外国人観光客の人出がエグい」 と言っていた。中国人は減っていても台湾人が増えているらしく、現地の人出は変わらない。また見かけが変わらない台湾人たちは 「I’m Taiwanese」 といったバッジを付けた人や、中にはわざわざ 「私は台湾人でーす!」 と言ってくる人もいるらしく、鉄道の人たちは「わかりやすいなぁ」と話しているという。

遅延からの欠航

昨日の朝にバンコクを出発する予定だったカミさんは、機材の不具合の遅延で午後まで待ったあげくそのフライトが欠航になり、ANAが用意したホテルにバスで移送された。事前にこの機材はボーイングだったことを確認していたので安心していたのだが、予定が狂った。同じ便に乗るはずだった日本人家族の中には娘さんが受験で帰国する人もいて、グランドスタッフに相当粘って他便振替などの交渉をしていたが受け入れられず焦っていたらしい。 その後ホテルで風呂に入っていたら、ANAから連絡があり、深夜のタイ航空の空席が取れたとのことでとりあえず安堵。ところがこのタイ航空も遅延を重ね、今日の午前中に入れていた骨密度検査はキャンセル手配が必要になった。 「これは年末年始の何もかも予定通り進まないイタリア旅の練習だね」 とやたらポジティブに楽しんでいるようだった。

小学生になる店

宝くじを買った後でもう一件仕事の打ち合わせをし、夕方に新宿に向かった。とがりとtomoとJalanJalan30周年KLオフ会の打ち合わせを兼ねて居酒屋で待ち合わせなのだ。 その居酒屋は「小学校」をコンセプトにしていて、客は生徒、店員は先生という役回りをこなさなくてはならない。校門で早速写真を撮る。 玄関側では駄菓子取り放題で、これが「お通し」になる。 個室は教室だったり理科室だったり視聴覚室だったりの札が出ている。 料理は給食メニュー。 宴たけなわでいきなり教室の扉が開き、先生が 「抜打ちテストです」 とテスト用紙を置いていく。オイラは問題自体が全然頭に入ってこないのだが、我がチームには幸いとがりがいたので、カンニングすればよいだけだ。 ということで、100点を取って、お土産をもらって店を出た。

丸の内・有楽町

何年振りかでスーツにネクタイをしてクライアントの日本本社を訪問。有楽町駅から皇居に向かって歩くと再開発もあってビル街が美しい。 それでいて駅を反対側に移動すると駅下にはまだまだ古い店が残っていてうれしい。 そこに外まで聞こえる大きな笑い声で宝くじを売っているお姉さんがいた。宝くじは「笑顔の人から買うこと」と聞いたので、これは神のお告げか、と思い急に買うことにした。 オイラ「連番とバラ、どっちがいいかな」姉さん「私だったら、楽しめるからバラだね、絶対」オイラ「じゃ、バラで」束を渡しながら姉さん「どうか、当たりますように」 うんうん、これはきっと当たるよ。ありがとう、お姉さん!

元会社の同窓会

先週末に元会社の同窓会が開催された。元会社は2000年に当時の競合会社と合併したが、この同窓会は「合併前」の純粋に同じDNA、同じ文化を持つOB、OGのみ220人ほどによるもの。みんな、最初で最後、だとわかっているので、大勢の人々が集まったんだろう。 当時社員たちが商談や会食でよく利用したプレスセンタービルの「アラスカ」という会場も胸熱だった。会場壁面には元会社が制作したあの頃のテレビCMの数々が流れ、懐かしさに拍車がかかった。一番下でも還暦、最高齢は88歳。みんな爺さん婆さんなので、名札を見て「おー!」とか「あー!」とかそこらじゅうで声をあげている。その上、耳が遠いので「ああ?」「ええ?」って顔を寄せ合うという奇怪な時空であった。 2時間ちょっとの時間は「おー!」とか「あー!」とか叫んでいるうちにあっという間に過ぎ去り。 その後は同期メンバーのみで元会社のオフィスのあった「日比谷国際ビル」の地下で2次会、3次会。 懐かしい先輩や後輩の顔を見てなんとなく「オレ、もうすぐ死ぬのかな」という気持ちがよぎった(笑)。

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