Author: Jun

憂い

昨日はベロニカと合流してクライアントのオフィスでプロジェクトのキックオフミーティング。終わるとすでに6時近かったので、ベロニカと晩飯食いながら打ち合わせ。特定の仕事の打ち合わせというよりは将来的な会社のありようの話。 日本のパートナー会社が「山森さんの後継」を憂いている。オイラは生涯現役しか頭にないんだけど、会社に関わる他の真面目な方々は憂いている。そこで娘の千朝やベロニカ、ナイという3人の女性に少しずつ経営の根幹をシフトしていくための素地作りを始めているわけだ。それもまた終活の一つと言えるのだろうか。ただ、彼女たちには実感が湧かないらしく、あまり具体的な話に踏み込む気配がない。まあオイラもとりあえず「なんとなく」でいいと思っている。 マレーシアで始めた会社がASEAN各国や中東の仕事も手がけるようになった。上手くいくかどうかわからないが、今はヨーロッパの提案書を作成中だ。まだまだやりたいこと多くて、なかなか引退する暇がないんだ。

打撃アドバイス

昨日は久しぶりにKLでJalanJalanソフトボールに参加。今シーズンから復活参加したJalanJalanだが、まだ初勝利がない。そして今日は古豪Wings戦。相手の先発投手が珍しくウィンドミルでなかったこともあり、JalanJalanの打線が爆発。なんと 23 – 3 という大勝で初勝利を飾った。 オイラはほぼ勝敗が決まった途中から5番サードで代打出場し、2打数1安打。オイラの打順の前から急にウィンドミル速球投手に交代になって「えー!」と心の中で叫んだけど、みんなの手前、声には出さなかった。サードの守備機会なしでノーエラー。ほぼ試合は決まっていたとは言え、サードの守備はめちゃくちゃ緊張した。 勝敗に関係なくただただソフトボールをするバンコクもいいけど、勝ち負けに多少こだわりのあるKLのリーグ戦もやっぱり楽しいなぁ。 速球に押されて外野に飛ばなかったので、帰宅してからすぐにAIにアドバイスを求めた。「バットを短く持つこと」「今のポイントよりも前で打つ意識を持つこと」「投手が投げ始めたらもう振り始めること」 もう歳なんだから、球が来てから振ろうとするな、と言っていた。

ドラクエのような。

今日は少しゆっくりと朝10時にGrabで空港へ。午後のフライトでクアラルンプール。来週一杯向こうで仕事します。 今回のシチリアは ナポリサレルノ〜アマルフィ〜アトラーニパレルモコルレオーネ〜パラッツォ・アドリアーノ〜チェファルー〜カステロブオーノカターニアサヴォカ〜フォッツァ・ダグロ〜タオルミーナポンテ・ポリア〜ラグーザモディカ〜マリナ・デル・ラグーザノート〜シラクーザ という町を訪問した。一番心に残った町は「ニューシネマパラダイス」のパラッツォ・アドリアーノ。 青年期のトト 老年期のジジ ここは町並みが当時のそのまま残っていて、腰にぶら下げたブルートゥーススピーカーから映画のサウンドトラックを流しながら歩くと泣けてくる。ここを訪れる前にトトの孫と会い、トト本人と話したこともあって感慨ひとしおだった。 一番良かった町はカステロブオーノ。ドラクエで言えば安物の武器屋と教会くらいしかない小さな町だけど、細い路地路地や石畳、中世の町並みそのままでとても心に沁みた。 クリスマスイヴだったこともあって、夜中にずっと夢だった町の住人しか来ない小さな教会のクリスマスミサに出かけた。 みんなが歌う、聴いたことないけどやけに耳に残る讃美歌を教会の後ろの席でずーっと聴いていた。この町いいなぁ。こんな町に住んだらどんな人生だっただろう、と宿に戻る道で考えたりした。

復調

この2日、ようやく血圧が正常値に戻ってきた。朝昼晩と慣れた食事をして、カブと遊ぶ日常の時間から体調が戻ったのだろう。 今日は新規の某日系クライアントへのプレゼン。それが終わったらパスポートの写真を撮って、明日日本大使館に年末で切れるパスポートの更新申請に行く。明後日からマレーシア。翌日日曜日にソフトボールの試合に参加して、翌週は日系クライアントと3月から始まるプロジェクトのキックオフミーティング。それから念の為JalanJalan30周年記念オフ会会場に予約確認もして来よう。 ああ、なんか日常が戻ってきた(笑)。

ダメージ

128 – 98 日常生活に戻ってから血圧が下がらない。もともと下が高い傾向にあるが、年末休暇に入る前まではずっと 118 – 85 くらいで正常域だった。 自分が思っているより「激動のシチリア旅行」で肉体的、精神的ダメージを受けていたようで、その直後の孫嵐や仕事始め初日から早速忙しい状況もそのダメージをリカバーできない一因かも知れない。もう1月13日になるというのに、毎朝起こされるまで爆睡している。6〜7時間でスッキリ目覚めていた睡眠時間が今7〜8時間寝ても起きられない。 30代の頃は、小さい子供たちを連れた家族海外旅行ですら宿の予約もせず、現地に着いてから行き先を決める成り行き旅に何の不安も感じなかったが、気付かぬうちにいろんな不安が心身に蓄積されたんだなぁと改めて老いを感じたわ。 そんな渡航初日からダメージを受けている動画をアップするので見てみてくれよ。

AIと共に

今日バンコク在住の日本人と仕事の打ち合わせ前に海外渡航の話をした。彼は奥様と4月のソンクラン休暇にロンドン行きを計画中らしい。取ろうとしているフライトがオイラと同じ深夜2時発のエミレーツ航空ドバイ経由。ドバイでの乗り継ぎ時間が1時間で充分かどうか聞かれたので、やめた方がいいと伝えた(笑)。それからエミレーツは大幅な遅延でもカウンターでしか告知しないので、できるだけ早く空港カウンターに行った方がいいというアドバイスも。我々みたいに運よく遅延便より前のフライトに振り替えてもらえる可能性があるからね。(まあドバイの乗り継ぎ便が大幅遅延で結局早く到着できた意味なかったけど) 仕事の打ち合わせはAIのビジネス活用についてだった。彼が開発したAIツールのデモを見せてもらいながら有効活用の方法を話し合った。時代は仕事もプライベートももはやAI無しではやっていけないほど急激に浸透した。オイラの年末年始旅行もレンタカー会社や海外保険会社の条件書は全部AIに読み込ませて、要約マニュアルガイドやチェックリストを作ってもらったし、自作の旅程を全部読んでもらって 「明日はこの宿に予約の確認入れときましょう」 などとリマインドやアドバイスを毎日もらいながら旅をした。フライトやフェリーが欠航した場合の代替案もすぐに調べて提案してくれた。歴史建造物の説明やオペラのあらすじや見どころなどもすぐにスマホでチェックできた。 仕事ではこうしたAIツールがどんな場面でどんな役割を果たせるのか。その回答自体もAIとチームになって未来図を描いていく。 今年も公私共に楽しくワクワクする1年にしたい。

1歳児

千朝が来タイしていることもあって、会社のスタッフとランチ会を開いた。ハゲはみんなと顔見知りだが、1歳になったばかりの律貴は初見参ということで誕生日席に座らせられたが、母兄弟が遠く離れているにも関わらず、タイ人たちとコミュニケーションをとりながら飯を食わせてもらっていた。なかなかいい度胸だ。 その度胸ある1歳児がイタズラしてキッチンの床にこぼしていた「酢」に足を滑らせてカミさんが転倒し、膝の筋を痛める。普通に歩くことができないので、病院に連れて行ったが重症ではないようで自然治癒に任せるしかない。旅行から無事に帰ってきたからの災難であった。

嵐の中の我が家

這々の体で戻った自宅には娘と孫3人が待っていて、上へ下への大騒動の真っ只中だった。我々は一息入れる暇もなくその嵐に飲み込まれ、目が回る。彼らは金曜日の夜に帰国するが、この週末には「あ〜やれやれ」という安堵、平穏と共に静寂と喪失感が我々を襲うだろう。土曜日の朝は、久しぶりにカミさんとカブとカフェで朝飯を食い、日曜日はソフトボール。賢ちゃんバンドの編集中の曲に取り掛かり、シチリア動画の編集、来週のプレゼン資料の作成、マレーシア出張の手配など、今年初めての「日常」と対面することになる。 そして、次の非日常。1年以上かけて「旅をした」シチリアが濃すぎて熱すぎたので、4月のソンクランは癒しのウブドを予約した。この2週間は何も計画せず、何も目的を持たず、ただひたすら好きなものを飲んで食べて気ままにのんびり過ごし、精神と肉体のバランスを元に戻す。

帰国便

ナポリからドバイ経由バンコクというエミレーツのフライト。まずナポリで航空機内に乗り込んでから、システムの不具合で待たされた挙句、機内から降ろされ、外で待つバスに移動。この時点でドバイでの乗り継ぎ時間が2時間弱だったことからドバイ〜バンコク便に乗り継げるのが難しくなった。 バスで待つ。この時点ではまだ一縷の望みを持っている顔。 イタリア個人旅行は予定通りには進まない。エミレーツはまともに運行しない。 という知見もあり、もうなるようにしかならん、の気持ちでカミさんと腹をくくる(笑)。 その後しばらくして、ターミナルに戻るはずだったバスが引き返し、再び機上へ。不具合が解決したらしい。しかし、フライトのルート変更もあり、さらに到着は遅れると機長からアナウンスがあった。フライト中、到着予定時間と乗り継ぎ便出発時間22:35との見比べる。 到着予定時刻は22:08となっているが、機内で病人が発生し、レスキューの到着を待つなどで時間が押し、またドバイ空港ってのが半端じゃなくデカくて、飛行機からターミナルまでのバス移動に13分もかかる。結局ターミナル内に入った時間は22:40で乗り継ぎ便の出発時刻は過ぎていた。仕方がないのでフライト変更の手続きを、と思っていたらエミレーツスタッフがバンコク行きは搭乗ゲートまで走れ!というのでカミさんと2人で走る。遠いけど走る。電車とエレベーター、エスカレーターを乗り継ぎ、汗びっしょりになりながら走る。 搭乗ゲートで搭乗券を見せて、ゲートを通過しようとしたら 「ナポリからの便の乗客はフライト変更になります」 と告げられ、結局、ゲートは通れなかった。このトム・クルーズ走りの時間とエネルギーを返せ。 そこからあっちへ行け、こっちへ行けのコネクションカウンターのたらい回し。空港が広すぎて、その移動でも徒歩移動、エレベーター移動、電車移動が伴い、いちいち15分くらいかかる。体力も精神もすり減ってヘトヘトになる。 結局、明け方4時のドバイ〜バンコク便に振り替えることになり、食事券だけ渡される。 深夜2時に空港内のKFCでフライドチキンを食べながらもう力の残ってない顔。 バンコク、スワンナプーム空港には午後1時過ぎに着いた。空港から自宅に向かうタクシーの車窓を流れる景色を見て、心の底からホッとした。 ここは「何が起こってもなんとかなる場所」。そう思えるととても心強かった。

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