今日、某日系クライアントの本社から 「中東とアフリカの仕事できる?」 って連絡があって 「できる、できるぅ」 と言ってしまった。 カミさんに 「ケニア出張あったら同行する?」 と聞いたら 「行く、行く、絶対行く!」 と叫んでいた。
Month: December 2025
杉並、松庵の実家のすぐそばに子供の頃から通っている「高橋」という小さな菓子店がある。自家製の和菓子、海苔巻きや稲荷寿司の他、袋菓子や駄菓子などを売っていて、一時帰国すると必ず寄っては松露や揚げ煎餅、柿ピーなどを買う。山森家では祖父母、父母、弟と一族皆ここに世話になっているので店の引き戸を開けると二代目の女将さんが 「あら、帰ってきたの? 日本は寒いよねぇ」 と声をかけてくれる。 今回も西荻窪駅からの帰り道に寄ってみると、老夫婦の先客がいた。何やら話しているようだったので、品物を選びながらそのお爺さんの顔をチラッと見上げると 大竹まことさん だった。ジャージ姿に無精髭で芸人オーラを完全に消し去っていたが、チコちゃんで見たばかりだったのですぐにわかった。きっと奥様と和菓子でも買いに来たのだろうが、こんな(と言っては高橋に失礼だが)ところで見かけたのでちょっと驚いた。
今日バンコクは祝日なので、寝不足も回収しホッとしているところ。今年もあとわずかになった。押し迫ったところで、ミニライブやいろんな同窓会でたくさんの交流ができた。タイにはほとんど友だちのいない我が家なので、この2週間で2年分の交流をした思いだ。とにかく記憶がすぐに薄くなっていくので、話した人たちとはできるだけ一緒に写真を撮った。しばらくはその写真で記憶の上塗りをするつもり。 そう言えば、高校同窓会に現在91歳になる先生から届いたメッセージが読み上げられた。その中に 「昔を懐かしむにはエネルギーが居るんだぞ」 という言葉があった。 歳をとると、もう懐かしむこともできなくなってくるのだろうか。 。 。
昨日の深夜にバンコクに戻ってきた。滞在が長かったこともあって、また戻りの前日が高校同窓会で遅くなったこともあって疲れた。だから深夜2時のカブからの「遊ぼう」攻撃も迎撃することができなかった。 卒業以来約半世紀ぶりという人たちも多く、容貌はお互いに変わったが、声や話し方、仕草なんてのは人間一生変わらないんだなと思った。だからしばらく話していると時空を超えてあの上井草の高校の教室にいる錯覚に陥るんだよ。本当に不思議な体験だよ、同窓会ってのは。 Masさんもいたねw高校時代に2週間くらい付き合った彼女がMasのところに来て 「私のこと、覚えてますか?」 って言われ、 「お、覚えてるよ」 とドギマギしてたので笑った。
義姉のいる我孫子に行っていろいろバンコクに持って帰る荷物をバックパックに入れて常磐線に乗ったカミさんは、東京駅で中央線に乗り換え、神田駅に到着した辺りで常磐線にバックパックを置き忘れてきたことに思い当たり焦りまくってLINEしてきた。 背中に背負っていたバックパックを腕から抜いて「降りる時に背負っていけばいい」と思いながら東京駅でそのまま立ち上がって車両を降りてしまったのだ。 シチリア旅のための買い出し品もあったので、そのバックパックも含めて新たに買い直さないといけないと憂鬱になりながら西荻窪に戻ってきた。でも、弟と3人で西荻の鰻屋で鰻を食べ終わった頃には 「美味しかったねぇ」 とその憂鬱もほぼ霧散していた様子だった。 今朝はこの冬一番の冷え込みとなり、我々には辛すぎたので、早朝から開いている近所のワークマンで極暖靴下を買って帰宅。オンラインでJRに紛失物情報を登録していたカミさんのスマホに 「似ている品物が見つかりました」 と連絡があった。当たりなら大変嬉しいし、さすが日本だなと感心しながらカミさんは紛失物センターのある品川駅に走って行った。
昨日の朝にバンコクを出発する予定だったカミさんは、機材の不具合の遅延で午後まで待ったあげくそのフライトが欠航になり、ANAが用意したホテルにバスで移送された。事前にこの機材はボーイングだったことを確認していたので安心していたのだが、予定が狂った。同じ便に乗るはずだった日本人家族の中には娘さんが受験で帰国する人もいて、グランドスタッフに相当粘って他便振替などの交渉をしていたが受け入れられず焦っていたらしい。 その後ホテルで風呂に入っていたら、ANAから連絡があり、深夜のタイ航空の空席が取れたとのことでとりあえず安堵。ところがこのタイ航空も遅延を重ね、今日の午前中に入れていた骨密度検査はキャンセル手配が必要になった。 「これは年末年始の何もかも予定通り進まないイタリア旅の練習だね」 とやたらポジティブに楽しんでいるようだった。
