Jalan Jalan

マレーシア、タイから発信するアジアお気楽情報サイト

JalanJalanの撮ったアジア

いつものやつ

オイラのコンドから徒歩1分くらいの並びにカフェがあって、2、3日に1回程度の割合で食後に カミさん用 ミックスベリーヨーグルトスムージーオイラ用  ストロベリーヨーグルトスムージー を買いに行っていた。 で、今日はカミさんが明日タイを離れる息子のために「日本に帰ったらもうしばらく食べられないだろう」とドリアンを買い込んできた。カミさん自身もドリアンが大好物なので、食後にそれを食べることもあり、 「今日は私はミックスベリーヨーグルトスムージーは要らないわ」 ということで、ストロベリーヨーグルトスムージー1つだけを買いに行った。 ところが、店の外を歩いてきたオイラを見た店員たちが 「あ、またあのハゲの二つ買いだ」 と解釈して、オイラが入店する前から作り始め、会計をしていた。 入店したオイラにみんなでニコニコしながらタブレットの伝票を見せる。 オイラは「今日は1つなんだよ」ととても言い出せなくなって、 カミさん用 ミックスベリーヨーグルトスムージーオイラ用  ストロベリーヨーグルトスムージー を買って帰った。

出発着々

昨日は午前中に運送会社が息子の引っ越し荷物を取りに来た。ガランとした息子の部屋をカミさんと二人で見て、ちょっと感慨に耽る。そしてタイは祝日だったので、娘家族、甥っ子も一緒に息子の歓送会をやった。 そして、カブも粗相をしてみんなから叱られないように正装で。 金曜日の深夜に家を出る。

驚きの時給

大谷翔平は「投手」と「打者」それぞれの年俸が算出され、ベッツやトラウトが 「すごいことになるんちゃう?」 と対談で話していたが、複数年契約で推定720億円。 年収102億円。月給8億円。時給556万円。 野球の本場アメリカの180年余りに及ぶ野球史上でも、もはや比較できる対象がなくなるほどの選手と同じ時代に生きて、そのプレーを見ることができてよかった。

ハルの彼女

小学3年生のハルはクラスに「両想い」(懐かしい響きw 今でもこの言葉使うんだな)の彼女がいる。その子が両親の帰任で日本へ戻るらしく、お別れ前のやり取りが続いている。それが彼らの時代になると、 手紙LINE(母親のアカウント)ボイスメッセージ などで、遠距離になってもLINEで繋がるから、とか話してる(笑)。 今朝、ハルと散歩しながら 「あれ?そう言えば、ハルはそらちゃん以外に彼女いなかったっけ?」 「ああ、まなちゃん?うん、そうだよ」 「え?二人もいるの?」 「ううん、もっといるよ、リンちゃんとユキちゃんとか」 8歳児が四股なの? 「じゃあ、他にもハルのこと密かに好きな子もいるかもね」 「きっといないよ、ぼくデブだから」 「そうなの?」 「うん、そらちゃんは、ぼくがデブなのも好きなんだって」 なるほど、小学生の頃から好みは多様化するわけだな。

無邪気なスター

日本でのレコーディングから戻ったデニ・ハインズが今朝もポメラニアン2匹を連れて我々のカブ散歩とすれ違ったので 「あなたの曲聴いてますよ。すごくいいですね!」 と声をかけたら 「えーーー!ほんとーー?わーー、めちゃくちゃ嬉しいーー!」 とポメラニアンのリードを話して飛び上がって喜んだ。 世界的なアーティストなのに、街角でこんなジジイひとりに「いいですね」って声かけられてこんなに大はしゃぎするんだとちょっと感動した(笑)。 こんなきっかけで聴き始めたデニ・ハインズなんだけど、ポップで爽やかですごくいい。

消えて欲しい占い師

息子の遥が8月5日に、5年間のタイ在住生活を終えて日本に移住することになった。 日本にいる彼女が長く患う強迫性障害の病状が深刻化する中で、同居しながらサポートしていく方法を選んだ。強迫性障害の中でも重い症状を持つ彼女は、「縁起」系の指示に背くことができず、今では口にできる食材もほとんどなく、生死に関わる状態に陥りつつあるのだ。「近親者以外とは接触を持ってはならない」というお告げが出て、電話はおろか、LINEのやり取りすら半年できずに落ち込む息子を見てきた。 この世から「縁起」「占い」「風水」などの類いは全て消滅してしまえばいいのに。 全てはインチキなのだから。 息子が決断した道も茨の道だ。重い強迫性障害を持つ彼女と二人だけで相模原市という未知の土地で新しい生活を始める。(この場所も、物件も、腹立たしいことに風水師のお告げからだ) とにかく無事に健康で、幸せになることを祈ることしかできない。

食中毒

ずいぶん日にちが空いてしまってごめん。 先週、デリバリーバイクが行列する人気のガパオ専門店で食べたビーフガパオに当たって、熱出して苦しんでました。それでも昨日、月曜日の午後に大事なプレゼンが2件あって、その資料を作る必要があり、土曜、日曜とも自室にこもって資料作りをしてたので体調が戻らなかった。昨日の午後は、ケツを押さえながらプレゼンをこなし、滴る冷や汗に熱意を感じてもらえたのか、好評だったので良かったです。 まだ体調は戻らないけれど、今日は客先訪問会議がないので自室でゆっくり仕事します。 以前、スクムビット11にあった和食屋で食べた和風ハンバーグ定食に当たって2泊ほど入院し、30万円出費した事件を思い出し、オイラは「牛ひき肉」は鬼門なんだと悟りました。 誰かからも空気に触れる面積の大きいひき肉よりもステーキの方が安全だよ、と言われたことがあります。 でもビーフガパオ、めちゃくちゃ美味かった(笑)。

保護者面談

オフィスで一緒に仕事をしていた娘が、「これからオンラインで保護者面談だから」というので静かに聴いていた。学校での生活態度や勉強、友人関係、本人の性格など、先生からの見立てが説明されて、娘の方からは家庭での様子や自分の考えを伝える。 なるほど、これならひと家庭30分でどんどん効率的にオンライン面談ができ、昔のように保護者が並んで廊下の椅子に座って待ったり、先生が暑い中家庭訪問で汗をかくこともない。 さらに、娘が 「こういうところは私もどうしたら良いかわからず悩んでいるんですよね」 と打ち明けると 「はい、私もわからず悩んでいます。一緒に考えていきましょう」 と先生が返してびっくりした。 そうか、先生は教育に関して全ての解を持っているわけじゃないし、それを保護者に隠さず伝えたりするもんなんだ。昔は、先生に絶対的な威厳があった気がしたが、そういうところも時代は変わったんだな。

ノマド民集合

10年前までスクムビット26に「ノマド」という小さなワインバーがあった。 そこは在住日本人、駐在員というよりは現地採用日本人御用達の店で、オイラはケージに連れて行ってもらったのが最初だった。いわゆる常連さんの溜まり場で、男性も女性もシングルが多く、仕事や食事終わりに立ち寄ってワインやビールを飲んで、寝るまでの時間を共有する、そんな店だった。 その店の店長のさっちゃんが本帰国することで10年前に閉店され、「ノマド難民」という言葉がバンコク日本人の間で流行った。 そのさっちゃんが久しぶりにバンコクに遊びに来たので、当時のノマド民でまだ残っている連中の何人かが集まった。 オイラ以外は10年経って全員40代。 しかし、考えてみると、タイ在住日本人って長く居がち。マレーシアだったら10年前からいるもの集まれって言ってもすぐにこんなに集まらないもんね。 「ねぇ、いつまでいる?」「日本帰るの?」 こんな会話が飛び交ったが、帰る予定のある人は一人もいなかった(笑)。

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