昨日は日本のパートナー会社へ。 行き掛けに人形町に寄り、海苔を買う。 ここは人形町に実家を持つ友人が強く勧めてくれた美味しい海苔のお店。バンコクにいた時から「帰国したら買いに行こう」と決めていたのでこのタイミングで購入できて嬉しい。 この店のすぐそばに漬物専門店があって、店先に探していた紀州南高梅のつぶれ梅があったのでこちらも購入。 奇遇なことに、この漬物屋は海苔の店を勧めてくれた友人が昔バイトしていた店ということでこれもまた不思議な縁だな。 ランチはパートナー会社の社長にCITIBANKカードのCMに出てくるようなお店で和食のフルコースをご馳走になり、 食後にオフィスで午後一杯の会議。オフィスは最近流行りのグリーンオフィスで、スタッフのデスクは撤廃してリモートワークを前提にしたサロンのような空間になっている。 会議が終わると、会長、社長、取締役たちと代々木公園にある和食屋へ。ここは元会社の後輩女性がやっているお店で、福井出身の彼女が福井の食材を使った料理を福井の地酒とフルコースで提供する。 9時過ぎに食事会を終えると、白金台のバーで二次会。 ウィスキーの水割りなどをいただきながら、東京の夜を楽しみ、深夜0時ごろに帰宅。
Author: Jun
今年2月、父親が亡くなってから亡くなってからまだ会ったことのない遠い親戚などとも連絡を取り合う中で、祖母の先祖と辿った家系図や古い記録が掘り起こされ、ファミリーヒストリーが明らかになってきた。 遡ること室町時代、祖母の先祖、服部家は伊賀の忍者であったことがわかった。 まさに、山森家は 服部半蔵の末裔、忍者ハットリ君の子孫だったわけだ。 戦国時代に入ると、今川家の諜報活動や暗殺などをし、その後、信長、秀頼に属し、忍者として代々任務をこなしていた。 家康が天下を取り、戦国時代が終わり江戸時代に入ると、忍者の任務もなくなり祖母の実家でもある豊橋に拠点を移し、そこから今の時代に入ってきたわけだ。 ハゲがいつも身軽に飛んだり跳ねたりでんぐり返しをしたりしているのは 「忍者の血だったのね」 カミさんや娘はようやく腹に落ちたようであった。
父親の介護と亡くなった後の一切合切を任せっきりにしている弟のサポートで3年以上ぶりに帰ってきた。 到着後の羽田空港は、まだ来日人数が少ないこともあってアプリチェック、イミグレ、バゲージクレームとほとんど立ち止まることなくスイスイと出ることができた。 預かっていたゴルフバッグをキャリーするのを頼まれていたので、ペパマスが金チンと一緒に車で迎えに来てくれた。3年ぶりの日本での初めての飯は懐かしいファミレスで、ということでガスト。 648円? 安っ!彼らによると、コンビニ弁当とか200円代のものもあるらしいからきっともう50年くらい値段が上がってないんだろうね。 その分収入も上がらず、部長クラスの年収はとうとう日本をタイの方が上回ってしまった。 「でも安いお弁当が買えるから、自分たちが貧乏になっているのを気がつかない」 と金チンが言っていた。 とりあえず、不義理した親戚回りとか役所の手続きとかで全部埋まっていて大変だけど、とにかくやり遂げて戻るつもりだよ。