Jalan Jalan

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Tag: マレーシア

女王行幸!

昨日は超久しぶりにKLで松村さんと共に3女王に拝謁。 その後JalanJalan飯の聖地の一つ、ファッティクラブへ。 tomoちゃんがカニ、チャーハン、チキンウィング、トーストのほとんどを食べた上でデザートのケーキもしっかり食べ、全盛期ほどではないもののその存在感を存分に発揮した。 雨にも関わらず、相変わらずの長蛇の列であった。

空港の人々

昨日の昼頃にバンコクからクアラルンプールに入った。今回初めて、空港のイミグレが欧米人や中国系観光客で大行列になっていて 「コロナ前が戻ってきたんだなぁ」 と実感した。 タイもマレーシアもコロナの3年間に空港のシステムやイミグレの処理能力向上などにまるで着手してなかったのがハッキリとわかるのだ。 空港というのは、その国の第一印象と最後の印象を与えるとても重要な場所なのに、まずそういうことには無頓着。さすがに税関で荷物を開けさせ、難癖を付けて公然と賄賂を要求するという場面は見なくなったが、基本的にそれ以外はオイラが初めて体験した30年前と何も変わらない。 きっとタイもマレーシアも変わることはなく、ずっとこのままだろう。 まあ、それが好きでここにいるんだけど(笑)。

マレーシア留学のわけ

昨日はJalanJalanソフトボールのメンバーと飲み会。 オイラ入れて集まった8人のうち、4人が大学生。その4人全員が高校球児。だから1〜2年前まで甲子園目指して野球をやっていたほぼバリバリの現役なのだ。というか、オイラ以外の7人は、全員、高校球児、そのうち2人は大学、実業団野球までやってる連中。野球の話になるとオイラのアウェイ感、わかってもらえます?(笑) そんな中、大学生の彼らに 「なぜ、マレーシア留学なの?」 と聞いてみた。 大学生1:大学進学して野球を続ける気持ちはなかった。就職しようかなと思ったら母親が「海外留学したら?」と勧めてきた。いろいろ調べたら費用も安いし、マレーシアがいいね、ということになった。 大学生2:進学したい大学の受験に失敗した。浪人するのやだな、と思っていたら友人がマレーシアに留学することを知り、ついていくことにした。 大学生3:高校野球をやっていたから受験勉強が間に合わなかった。留学したいと親に相談したが、親は大反対だった。それでも何とか説得した。本当はアメリカ留学したかったが、金が足りないのでマレーシアになった。 大学生4:高校卒業間際に母親がマレーシア留学の話を勧めてきた。特にこうしたいという進路がなかったので、未知の国マレーシアに行ってみることにした。 ということだった。 まあ、それほど積極的にマレーシアに留学したいという意思があったわけじゃないね。そうすると今200人を超え、なお増え続けているという日本人留学生たちも、何となく将来英語とか身につけておくと社会に出て可能性が広がるという親御さんの意向を背負いながらここで勉強している感じなのかね。 確かに、日本の大学出ても英語すら喋れるようにならないもんね。日本が沈みゆく中、国外で生きられるスキルを学ぶのは正解だろうね。

マレーシア留学

KLソフトボール、今シーズンの最終戦となる3位決定戦は、対戦相手のピッチャーの速球に手も足も出ず、 0対12の完封負け。 オイラも2打席ノーヒットでいいとこ無かったし、とても悔しい。これでJalanJalanは来シーズンの幹事チームとなりました。 明日の夜は今シーズンの納会と来季に向けた決起大会を兼ねてチームで飯会をやる。 現在のJalanJalanチームはマレーシアに留学中の日本人大学生がメインなんだけど、マレーシアに留学している日本人学生って今どのくらいいるか知ってる? 200人〜300人だって。 びっくりしたよ。しかもどんどん増えているんだって。オイラ、10人くらいかと思っていたよ。 高校を卒業する時に、「マレーシアに留学」ってのが選択肢としてあるのか。オイラの高校時代なんてそんなこと頭に浮かんだやつ日本中に1人もいなかったと思うよ。 明日の夜はそんな学生たちと彼らの考えていることをいろいろと聞いてみたい。

歴史嫌い

娘や息子の通っていたインターナショナルスクールでは数学の試験では電卓の使用が前提だった。要するに「計算」は機械にやらせなさいが世の中の合意事項として成立していたわけだ。 そうすると歴史なんてのも当然そうなるな。年号覚えなんてのは試験前のお馴染みのシーンだけど、いつ、どこで、何によって、何が起こったか、なんていう史実はもはや 4289X3094 のようにキーを押すだけで答えを導き出すことでいいじゃんという合意が早晩成立するはずだ。「計算」の次に「知識」も機械にやらせればいい、となる。 そして事実よりもその人物たちのインサイトに焦点を当てたり、諸説の謎解きをしたり、とより興味深いテーマに学生たちを導くことができるかも知れない。 オイラも日本史の授業がそうであったなら、秀吉の心の内を探る授業であったなら、今頃もっと歴史が身近なものであったかも知れない。 という、とても長い長い言い訳をさせていただきました。

マレー行き

ひと月ぶり、今日はこれから1週間マレーシア。 カンパニーセクレタリーによる会社経営上の様々な手続きが「書類にサイン」なので行かないといけない。そのために毎月飛行機に乗って、KLに住居を借りて滞在するのはいかがなものかと思うが、全てオンラインになってもう二度とマレーシアには来なくても大丈夫、となったらなったでそれは寂しい。 日曜日はJalanJalanソフトボール、今シーズンの最終戦、3位決定戦。人数ギリギリのため、またオイラは出場する。バンコクのソフトボールと違ってガチなので、守備位置にいても、バッターボックスでも緊張しっぱなしで試合が終わるとヘトヘトになる。 この試合に負けたチームが来シーズンの幹事チームとなる。絶対負けられない、と血が昇って試合中に気絶するんじゃないかと不安だ。

焼肉「JYU JYU」

昨日は午後に日本のパートナー会社の役員会で「2023年はどうしよっか」の打ち合わせをして一息付いたので、ミッドバレーでNTTDATAの太郎さんとウチのベロニカと夕食会。 少し早めにミッドバレーに来て夕食までの時間にお店を回ってみたが、マレーシアもインフレがすごいね。何でもかんでも高い。 先週カンパニーセクレタリーのおばちゃんに「バンコクとKL、どっちが物価高い」って聞かれたけど、KLの方が全体的に高い印象。 今日1日KLで仕事して、明日バンコクに戻る。明日はチャイニーズニューイヤーイヴで、空港までの道や空港はごった返すから早めに空港に向かった方がいいと言われ、今日戻っておけばよかったとため息をつくオイラです。

あこと再会の蟹

週末は日本から来ていたアコと土曜日だけ重なったので、松村さん夫妻と一緒にファッティクラブへ。 30年以上、何も変わらない店構え、店内、店員、行列と混み具合、そしてメニュー。 そして、チリクラブ。このタレをトーストに付けたり、チャーハンにちょっとかけたりするとマレーシアで過ごした長い月日が走馬灯のように蘇る。召される寸前のようだ。 前回は柳家三之助さんと来たのかな? なんだかんだで4〜5年ぶりだと思う。 ファッティクラブのすぐ裏には大きなショッピングモール兼コンドミニアムが聳え立ち、そこだけ時代が変わった感じ。その中のカフェでデザートのケーキをいただく。美味しかったけど、ボリュームがありすぎて完食できなかった。悔しい。

KLのルーティン

昨日は午前中に取引先との打ち合わせをオンラインで行い、いつもの屋台村まで伊麺スープのランチを食べに出かける。 何という幸せの美味さ。こいつがオイラには故郷の味の一つになってしまった。食後に他の屋台でホカホカのあんまんを買い、車に戻って食べる。これが餡たっぷりでまた美味い。 タイミングよくチャイニーズニューイヤー直前なので、年一で登場するクワイチップスが道端のテントショップで売られていたので、車を寄せて3つ購入。 夕方の社内会議を終えるとすけさん、賢ちゃんとの新年会だったので、zoomを繋ぐ前にツマミを作る。豚肉を醤油とマヨネーズで焼いたもの、シャウエッセンソーセージ炒め、牛挽肉と納豆のオムレツ、それから肉炒め後の汁と合わせたスパゲティカルボナーラ。 野菜がないなー。

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