Jalan Jalan

マレーシア、タイから発信するアジアお気楽情報サイト

Author: Jun

週末に会ったある日本人が、 「製造業ではもう食っていけない。会社はB2Cの新規事業を模索していて、やっぱり飲食かなという話になっている」 と言っていた。で、今具体的に検討を始めているのが「焼肉屋」らしい。 製造業の業態転換としては今後こういうケースは増えていくんだろうと思うけれど、「会社を相手に売っていた商売を一般個人消費者相手に売る商売」だと考えているとなかなか上手くいかない。 オイラが考えるに、製造業をずっとやってきた人には、 「製造業脳」 というのがあって、「いいものをリーズナブルな価格で提供すれば売れる」と信じている。製造業時代に会社でこう叩き込まれて生きてきたからだ。 しかし、B2Cは「いいものをリーズナブルな価格で提供」しても売れるとは限らない世界なのだ。この上に 「マーケティング脳」 を鍛錬しないと生きて残っていけない。オイラが接点を持った製造業の方々でも、これを理解している人はとても少ない。

土砂降りの中の撮影

昨日、夕食後に風呂に入っていたら、大雨が降ってきた。風呂の中でTiktok動画などを観ながらリラックスしていたらカミさんがドタドタとやってきて 「大雨の動画撮ろう!」 と言う。 オイラがやっている「Bangkok Walk」というYoutubeチャンネルでも大雨の中を歩く動画は比較的人気があり、再生数が回りやすい。大雨が降ったら続編を撮ろうと狙っていたカミさんは嬉々として「早く!」と促す。 オイラは気持ちよくスーダラ状態だったのに、湿った体にボロボロのTシャツを着て、 「もう直穿きでいいよ!」 とカミさんから差し出されたトランクスをパンツも履かずに履かされ、カッパを着させられ、傘を持たされ、ビーサンでスコールの中に出された。 ひどい土砂降りだったので、すでに道路は冠水し始めていた。そんな中をナナ駅とアソーク駅の間をカメラを回しながら往復し、横殴りの雨にTシャツも直穿きトランクスもびしょびしょになりながら戻った。 途中、バス停で雨宿りしているお坊さんが立ったまま首を折り曲げて寝ている姿にドキドキした。 これも修行のなせる技か。

若い自分に励まされ

元会社(DIK)時代からお世話になっている先輩から大昔にオイラが社内報に寄稿した記事が送られてきた。昨日の「この先どうする?」の「ひと言」を読んだ後でこの社内報記事を見つけて、いいタイミングだとわざわざ送って下さったのだ。 その原稿はオイラが33歳、マレーシアのクアラルンプールで苦労して支社を立ち上げた時に書いたものだったが、こんな気持ちだったんだなぁ、と忘れていた記憶が蘇ってきた。こんな出だしだった。 ことし一月三十一日、本社より田中社長、矢部取締役、DIKタイより川村社長をお招きし、DIKマレーシアのオフィシャル・オープニングが挙行された。南国の青空にはためくDIKの社旗を仰ぎ見ながら、この日に至るまでのさまざまなことが思い起こされ、感きわまった。 三年半前の赴任当初、私は重度の下痢に悩まされ、通じない会話にいらだち、はかどらない仕事に焦り、体重が八キロ減った。ひとり寂しくホテルの部屋で、「これから俺はどうなるのだろう」と不安いっぱいだった私を元気づけてくれたのは、DIKの仲間から餞別にもらった「スーダラ伝説」と「ひばり大全集」(二枚組み)のCDだった。植木師匠は、「いろいろあるよいろいろね そんなこたどうでもいいじゃねえか」と笑いとばされ、ひばり先生は、「川の流れのように」とやさしく諭してくださった。 今の自分からすれば「おい、そんなのは苦労のうちに入らねーぞ。その後、とんでもねぇ、苦労人生が待ってるからな」 と無慈悲な声もかけてやりたくなるが(笑)、この時は、なんかこう、一つの山を乗り越えて、これから果てしない希望が満ちているという斜め上向きの眼差しが思い浮かぶ。 まだまだ初心を忘れずに、挑戦し続けていったろうやないかい、という気持ちになった。

妄想の年頃

最近、「日本には帰る意思はあるのか?」「いつ日本に戻るの?」「仕事はいつまでやるの?」と言った質問を受けることが多くなったな。まあ、同期の連中も来年迎える65歳はほんとの定年だし、第2ステージのことを考えるお年頃なんだろうね。 週末にバービアでカミさんとビール飲みながら 「どうするかねぇ・・」 なんて話をするが、アジアは離れがたいし、なかなか具体的な結論には至らない(笑)。サラリーマンを39歳で辞めちゃったので年金なんか大して出ないから年金暮らしなんて設計は元々無理だしね。 なんか今と全然違う仕事に挑戦するのもありかもな、とか。いろいろ妄想膨らむんだよ。

広島の実家

無事にBKKー福岡ー博多ー広島の長旅をこなして彼氏の実家に到着した娘とハゲ。実家で過ごした後に大じいじ、大ばあばの家に親類も集まって賑やかに受け入れてもらった。オイラとカミさんもLINEビデオで繋いで皆さんとご挨拶。みんなが喋る千鳥のような広島弁がとても心地良い。 ゲラの娘がみんなの中で大笑いを連発していて、やたらに場が盛り上がっていたが、大じいじが彼氏に 「ほんと明るくてええ子やね、そういう子が絶対ええ。うちのばあちゃんも明るくてずっと笑ろてる、それがええんや。美人は3日で飽きるけど」 と、何度も繰り返し言ってると聞いてカミさんが 「これは、美人じゃないと言うことだね」 と笑っていた。

トムハンクス作戦

今日は深夜の便で娘と孫二人が一時帰国する。福岡空港に降りて、そこから新幹線で広島へ行くルートらしい。 バンコクは今週、夕方になると豪雨がやってくる日々が続いていて、元々ある渋滞に輪をかけるので、夕方から夜にかけてスクムビット通りやそれに繋がる道路は「駐車場」状態になる。 そして今日は金曜日。金曜日の夕方に豪雨があれば、2時間でも3時間でも車は動かないだろう。空港に向かうためのグラブ自体が娘の家に辿り着けない可能性が高い。 そこで。 今日は午後に空港そばのクライアントで会議があり、それが午後3時に終わる予定。クライアントオフィスから帰宅せず、娘はそのまま空港に向かい、カミさんは孫二人を連れて渋滞や豪雨が始まる前の午後3時にグラブで空港に向かうという超セーフティファースト作戦を採用することになった。 空港ではフライトまでの約9時間、トムハンクス状態になるが、精神の安定は保てるだろう。

広島帰国

今週末に娘と孫二人は一時帰国する。戻り先は東京ではなく、広島だ。 広島に本社のある会社のバンコク支店に勤務していたパートナーが、今年の春から日本勤務となり、娘家族は逆単身赴任状態だった。その彼の実家を訪れ、親御さんと初対面のご挨拶をし、入籍の手続きをする。そして、2週間ほど広島界隈を体験したらバンコクに戻ってくる。 広島、岡山、倉敷、四国、瀬戸内海・・・ 気候もいいし、海の幸や果物は美味いし、風情ある町並み。いいところだよなぁ。 来年のソンクラン休みにでもレンタカーでぐるりと回ってみたいな。

ジジイバンド進撃中

16曲も課題曲をリストアップして全曲平等に練習してきたジジイバンドだが、それではどの曲も一向に上手くならないことにようやく気がついて、先週から3曲に絞った練習を始めた。 当然ながら1曲に充てられる練習時間(個人練習も合同練習も)が格段に増えるので、だんだん上手くなっていくのがわかる。そうすると、なんか自ずとやる気も湧いてきて、もっと練習するという好循環が起こる。 今オイラの持ってるLINEグループで最も活発なのがこのジジイバンドグループで、 「あそこは1回目と3回目は半拍ズラしてシンバルを入れた方がいいね?」 「最新のライブでの終わり方より旧バージョンの方が好きなんだけど、そっちに変えない?」 「最後サビ2回やってからエンディング。サビの間って2拍でなく4拍だよね?」 と一丁前なことを言っている。 みんなの頭の中には盛り上がったり涙したりする客席の女子たちが渦巻いているのだが、そんな結末が待っていないことを今はまだ誰も知らない。

チップの相場

カミさんがここ数日ハマっている「栄光のスピン」というアメリカドラマの中で、ウェイトレスのアルバイトをしている主役が 「50ドルの食事でチップが5ドル。。私、何か失礼なことしたかしら」 と愚痴るシーンがあった。 50ドルで5ドルって10%だよね。10%ってアメリカではあかんかったのか。 と思ってChatGPTに聞いてみたら、 「アメリカで食事をしたらチップは15%〜20%が一般的です。50ドルの食事をしたら10ドル。もし対応がとても良ければそれ以上置くと良いです」 と教えてくれた。 タイでよかった、オイラ。

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