後書き
Name: 朝田 光 (2004年4月14日)
Date: 04年4月14日 06時05分04秒
サイゴンのタンソニアット空港を飛行機が離陸する時が一番感傷的になると言われ続けてきた。またベト通にもベトナムを後にする時待合室でつく溜息が安堵のものかなどとくだらないことも書いたことがある。しかし実際にはほぼ連日続いた送別会のおかげもあり、待合室から死んだように寝てしまった。飛行機の中もほぼ離陸から着陸まで眠り続けた。これがアジアで7年間貯めた疲労のせいかそれとも新しくリセットをしようとしている自然の摂理かはよくわからない。
確かにタンソニアット空港にはローカルスタッフを始め尼姉、船宿、船頭、そして多くの日本人の友人たちも駆けつけてくれた。ただ驚いたことに私は感傷に浸ることも無く、ただただ照れ屋の朝田でいたような気がする。
はっきり言ってこういう環境は苦手だ。
成田に着いたとたんから、もうベトナムが遠く感じるようになってしまった。今までの仕事は後任がすでに働き始めている。私の居場所はサイゴンには無い。とりあえず日本へ帰ってまたある程度のインターバルを経て確実にどこかの国に着任する。それまでしばしの日本ではあるが、過去を振り返るのが苦手な私はすでに新しい環境に対して不満がでてしまっている。人間肝要が大事、人間ができていないと痛感する。

日本へ帰って一週間も経っていないのに、もうすでにサイゴン発の航空便が家に持ち込まれ、これで船便が来ればどうなってしまうのだろうと大きな不安はあるが、ベトナムがさらに遠くなってしまった感じがする。これまでの過去色々な国サヨナラを告げてきたが、どの国よりも後味を引っ張っているのがこのベトナムという国だ。もちろんこれからの人生ベトナムで再度生活をする可能性もあるのでベトナム総括とは言えないが、この国の良さ悪さはやはり後になってじわじわと判ってくるというのが本当のところだろう。
あれだけ送別会の嵐を送っていても未だにあそこに行けなかった、その人とゆっくり話す時間が無かったと後悔ばかり残ってしまったが、これも駐在員の悲しい定め、それが自然なのかもしれない。
今でもぽつぽつとローカルスタッフとメールのやり取りは続いているが、尼姉やらバレーボール青年は忙しいのか返事が来るのが少ない。彼らにはきっとまた新しい世界が出来上がりつつあるのだろう。この2人に船宿、船頭、など多くの日本人にお世話になった。彼らがいなければベト通はここまで続いたかどうか分からない。感謝してもし切れない恩がある。あの暗くて寂しい夜を乗り切れたのも彼らのおかげだ。もちろん色々な意味で応援してくれた読者の皆様にも感謝している。こんなぐうたらな通信よくぞ飽きずに読んでもらったものだ。
今朝田は日本にいる。これからどのくらいの期間日本にいられるかよくわからないのだが、しばらく次の赴任地まで待機する。
はっきり言えば朝田に日本は合わない。毎日が萎縮しているようで、自分が自分で無くなるのがはっきり分かる。それでもしがないサラリーマン。会社の業務命令に従って自分の人生を決めていく。(もしかしたら会社を辞めてアジアに走っちゃうかもしれないけどね)
また外地に出る機会が会ったら別の通信でお目にかかることにしよう。読者も朝田の「日本通信」は望んでいないだろうから。
最後に最大の恩人Junさんに一言お礼を申し上げる。彼には本当にお世話になった。言葉にならないくらいだ。ただもうゴルフの会員権は売ってしまってね。JalanJalan に投資してもいいから、寝かせるよりいいと思うよ。