プノンペンまで車に揺られて

Name: 朝田 光 (2004年2月13日)

Date: 04年2月13日 10時30分46秒

アンコールワット観光を終えてシェムリップで簡単な昼食を取った。カンボジアもベトナムと同様、魚のエキスからクサヤの原液みたいな物を作り出しそれをフィッシュソースにしているものがある。臭いは強烈なものがありちょっと酸っぱい。これにつけて海老のフライなどを食べるのだが、馴れるまではこのソース大変だったが、今となってはこれが結構おいしく感じられる。慣れというのは不思議なものだ。

本来ならばシェムリップ空港からプノンペン空港まで飛行機で行くのが普通のルートだ。しかし今回はディーラーの親父が車で来ていることもありドライブしてプノンペンまで帰ることになった。まあこれも日常ベトナムで車移動しているからどうってことないとは思っていたが、あまりの悪路に驚かされた。プノンペンまでの間舗装されていた箇所は、プノンペン近郊と跡は全体の10%に満たないのではないだろうか。途中ディーラーの親父が橋の前で車を止めて、この橋はアンコールワットより以前に作られた橋であると言われたときも、「さもありなん」と思ってしまった。1000年以上の時を経てもまだ橋として使われ続けているのは驚嘆するが、はっきり言ってそれを未だに使う方も使う方だ。確かにイタリアではローマ時代に作られた水道橋が20世紀まで使われていたと聞いたことがあるが、トラックがバンバン通る橋はちょっとこの話とは違うような気がする。最近になって一方通行となったらしいがそれでも通過するまで一瞬不安を感じた。



道すがら見慣れた景色が無いことに気がついた。電柱と電線である。夕暮れになっても村々はいつもまでも薄暗く確かに電気の恩恵を受けているような感じはしない。聞いてみるとまだ電気が来ていないとのことだった。国道周辺でさえこの有様、多分奥に入るともっと非文明的な生活を余儀なくされているのだろう。それでも人々の笑顔はまぶしく、それぞれに幸せを持っていることが遠めで見ていても良く分かる。人間の幸せの大きさなど貧富の差で決まるものではない。
ただちょっと心配は周辺にいる鶏が痩せていてさらに今の時期鳥インフルエンザなど発生したら村ごとパニックになるだろうということ。あまりにも鶏と人の生活が近すぎてまるで「家族のように」と言う表現はほほえましいが今となってはちょっと危険の臭いを感じ取ってしまう。

プノンペンに帰るとちょっとほっとする。ホーチミンほどではないにしても、夜になっても光は溢れている。しかも新設されたカジノでは昼夜関係なく大金が蠢いている。周辺の農民が一日1ドルをどうするかで悩んでいる時に、ブラックジャックの掛け金リミットが一回20ドル以上のテーブルがやけに賑わっていたりする。この格差は思いを馳せるには十分だが、これも言い古された陳腐な感情なのかもしれない。なにしろ前にも言ったとおり人間の幸せの価値観は物理的な金という尺度では測ることはできないのだから。
カジノをやっている人たちに笑顔もないし、会話も途切れがちでもある。これが彼らの楽しむという行為なのかもしれないが、農民には理解されないだろう。私自身カジノに身を寄せる習慣もまた使用する金も無いに等しいから、かえって攻撃的になってしまうのかもしれないが、どうもこの遊び私の感性には馴染めない。

人類が発明した最大の物の一つである「貨幣制度」。それがまるで人の価値観と同一になりその尺度で順位を決められてしまう。もちろん財産と地位という二つの尺度が資本主義経済では取りざたされていることは良く分かっているが、それでも何がそれに固執させられるのか今一度良く考えてみたい。





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