アンコールワット再考
Name: 朝田 光 (2004年2月12日)
Date: 04年2月12日 18時32分46秒
前回あんなことを書いたアンコールワットだったが、実際に中に入ると圧倒される光景がそこにはあった。外堀に水を配したアンコールワットはそれこそ立派な城を思わせる風情だが中に入るとそこには宗教的な建造物やレリーフが沢山ある。残念なことにその多くは盗掘により傷つけられたり一部は先の内戦による銃弾の跡などがあった。それを差し置いても実際にはこちらを圧倒することには間違いが無い。
本当に狭い階段を一段一段登りながら塔の上部を目指す。その行為自体が宗教的な意味合いを感じ心なしかブッダに会いに行くような気分になる。私自身宗教を深く学んだことは無いが、その哲学性、また芸術性には改めて深い感銘を受けた。
アンコールワットも良かったが、アンコールワットから車で10分くらいのところにあるアンコールトムは違う意味で多くの感銘を与えてくれた。有名な三面像や所狭しと飾られているレリーフには深く味わえるものが多い。天気も良かったせいか空気も清かで汗は流れるものの心が洗われるものがある。
一方マンダレーと比べて徹底的に違うのが、このアンコール周辺の建造物は実は壊れつつあるものだということだ。何千年かかけて少しずつ壊れていっているのが良く分かる。もちろん前述したように盗掘による被害も少なくないが、それをも増して巨大な樹木が建造物の何箇所かを完全に破壊していたり、自然に没落していた箇所が数え切れないほどある。日本を始め色々な国々が手をかして復興を図っているが、このような巨大な建造物を完全に復興させるのは不可能と言っても過言ではない。特に盗掘にあったレリーフや像など跡形も無いものも多くどう修復してよいのか分からないだろう。

カンボジアのディーラーによると最もアンコールワットらしいものを見たかったらタイに行けと言う。なぜなら盗掘されたこれらのレリーフはタイで最もよく発見されるからだと言う。まあカンボジアとタイとの関係をよく表現しているとは思うが、それにしてもあらゆるものが盗掘の対象になっているのが痛々しい。
アンコールトムはご存知の通り、ヒンズー教と仏教の競作のようなところがある。だから色々な種類のレリーフやら像が本来飾ってあったはずだ。それでもほとんどと言っていいほど像が首から上を切り取られている。まあ言い古された言葉だが「神を恐れぬ所業」である。
半日これらアンコール周辺をうろうろしていたが、石で作られたそれらのモニュメントに圧倒されあるいは恫喝を受けたような気分に浸りながら、それでも人間と宗教についての自分ながらの考察をしていた。宗教の力がこれだけのものを人間に作らせる。未だに宗教と哲学の区別がつかない私ではあるが、どうも揺り動かされる心の動揺に改めて宗教の偉大さを感じてしまった。マンダレーの読経とは違い何も語らない、元はと言えば花崗岩や石灰岩のそれぞれが、人の心を見透かすかのようにそっと声にならない声で語りかけてくる。これがマンダレーとは違う圧倒感を私に植え付けた。すごいと言うのは簡単だ。しかしそこには澄み切らないと聞こえない声がある。私の心が澄み切っていたかどうかは分からないが、自分の小ささを改めて考えさせられた。この石でできた建造物にはその力があるらしい。
たまには半日こういう宗教的な雰囲気に浸るのも良いのかもしれない。俗社会に疲れ切っている我が身をそっと見つめなおした。