大晦日特大号 今まで書けなかったこと

Name: 朝田 光 (2003年12月31日)

Date: 03年12月31日 19時19分43秒

今日のベト通は長い。暇のあるときに読んでください。
多分このベト通がアップされるときまた皆様がお読みになるときは、めでたく2004年がスタートされていることであろう。本来なら「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。」などと紋きり口調の挨拶から始めないといけないところだが、このベト通を書いているときはまだ大晦日、そんな挨拶からは始めない。
日本の読者から「いつ仕事納めですか」と質問を受けた。「仕事納め」懐かしい言葉ながら、東南アジアにはこんな言葉はない。彼らは基本的に旧暦で生きているので、1月1日になんら感傷を持っていない。ただ国民の祝日というだけの感覚だ。だから大晦日と言うのに街はクリスマスからの延長のようで、何も変った事はない。最近のラウンジ姉ちゃんも不思議な人が多く、「日本って1月1日が正月なの」など驚いてくれるからこちらも調子が狂う。彼女たちにとっても日本人が一時帰国するのが不思議でならないようだ。
もちろん当社も1月1日は休みだが、1月2日にはしっかり業務を再開する。丸井デパートの社員じゃないんだから、こんなに早く仕事を始めなくても緊急のものがあるわけでもなしと思うのは日本人だけで、社員はいつもと同じように働いている。
こんな中やはり日本人だから、携帯のメッセージで時候の挨拶をJunさんと交わしたが、お互いすでに中年の域よりも老年に片足を突っ込もうとしているのに、携帯でしかもローマ字のメッセージをやり取りするなど全く情け無い。しかもJunさんもどうもバンコクで一人寂しく紅白が見られる場所を探しているようだが、この年になって切ない大晦日を迎えるとは思っても見なかった。サイゴンはもちろんバンコクのように花火がバンバン打ち上げられ派手にカウントダウンをすることはないので、街に出ても仕方が無いが日本食レストランでくだを巻いてサイゴン時間10時日本時間12時を待ちましょうか。どうもつまらない。

「今年を振り返ると」という話は一回やってしまったが、せっかくなので今まで話していないことを話してみたい。
ベト通は土日を除くとほぼ毎日更新しているので結構色々な話はしてきた。むしろ書くネタがなくて日記風になってしまったり、ハードボイルドを気取ってみたり色々な形でその場その場をごまかしてきた。最近の読者は厳しい人が多いので、「この話つまんなーい」などのメールが入ってきたりする。そうかもしれないが書いている方も辛い。前回の「川を渡る」で532回話を書いたことになる。この特大号で533回ということだ。だから面白いときも悲しいときも落ち込んでいるときもあるわけだ。Junさんのように「タコ社長奮戦記」を面白おかしく書いているのとはちょっと状況が違う。
こんな話をしたいわけではない。このベト通にも今年連載終了の危機もあったのだ。
2003年2月東京本社から「日本帰国」の打診があり、4月1日を持って帰国を告げられた。それから目まぐるしく時間は過ぎてしまい、3月の中旬になると引越し依頼書を書く段階まできていた。そこへひょっこり本社から専務がやってきて「ベトナムの状況を話せや」ということになり、サイゴンオフィスで報告すると、専務がその晩ホテルの部屋に私を呼んで「もうちょっとベトナムをやってもらうことにした。ええやろ」と言われ、直立不動でどもりながら「は、は、はい」と言ってしまった。このときが正式辞令の発令2週間前。もうすでに家族に帰国の日程も言ってあり、所属も決まりかけていたときでもあった。そのときJunさんに日本から「日本ぼちぼち散歩日記」と改題して続けましょうかと相談していた矢先だった。それからもう8ヶ月が過ぎている。今回もシンガポールにいる取締役から(専務とは違う人)結構なクリスマスカードを頂いて「来年は色々ありそうですね」と意味深なことが書かれている。どういう意味か本人には全く分からない。またしてもJunさんと深刻な相談をしなければいけない時期になるのかもしれない。こんなこと書くとまたしても尼姉あたりが含み笑いをして、「ベト通見たで何が起こるねん」と聞かれるかもしれないが、未だに私はこの文章の意味が分からないから答えようにも答えられない。



今年料理の話も一杯書いた。Junさんほどではないにしても少しずつなんやかんや作れるようになってきた。炊き込みご飯は色々な人からのリクエストで5回は作ったのではないだろうか。それでも最後はご存知の通り大失敗。料理をちょっと甘く見るとすぐにしっぺ返しが来る。昨日も一人で雑煮を作ろうとチキンスープやら煮干のだしやら作って、冷凍しておこうと思ったら、ビニール袋が破けて結局全て冷凍庫のトレイにぶちまけてしまった。インスタントラーメンの時ほどではないにしても、掃除をする時の侘しさは格別なものだった。料理は実際の構想段階ではすばらしくおいしいものが出来るに違いないなどと想像する。実際その時が一番楽しいのかもしれない。できた時の失望は「プリングルス」を買って開けてみると上部三分の一が粉々になっていて、「これじゃアヒルの口が出来ないじゃないか」と怒りたくなるほどなのだ。(ちょっと話が違うか)自分で作ったものだからこれは仕方が無い。それでもこの間作ったとんこつラーメンは苦労した割には「新幹線で名古屋まで行こうとしているのに、気が付いたら大宮を通過していた」ほどのショックを受けてしまった。しかも麺は市場のおばちゃんにだまされて1kgも買わされてしまった。絶対おいしいって言っていたけど「どこがうまいんや!!!」

今年は別れも多かった。ハイハー親父は未だにアジアをボケ老人のように徘徊しているようだが、全く持ってボケ老人と同じで自分の住処であるサイゴンへ立ち入ろうとはしない。これはある意図を持って行動しているとしか思えない。あのジャパニーズラウンジでケツをふりながらママに強引にキスをしたことが後を引いているのかもしれない。それなら話をつけてやるから一回は帰ってこないと、ボケ老人だっていうことも忘れ去られてしまうぞ。それでも彼律儀だから海外に出ると必ず「只今インド到着」など関係ないメールを送ってくるんだけどね。

もう書いてしまってけど「大先輩」との別れがあった。最初のアジアの上司。ユニークな人だったけどこの大先輩が今の私を作ったといっても過言ではない。色々教えてもらった。だから今でもアジアを行きぬくことが出来る。私に後輩が出来たとしても大先輩ほど教えられるかどうか自信はない。
また4月が来る。人事異動の嵐がまたやってくる。何人の人間が残り、何人の人間が新天地に飛び出していくのだろうか。

今年はハードボイル調のベト通も多かった。ハノイではライチと戯れ、サイゴンの自宅では紙巻タバコと奮闘し、何度ジャックダニエルを煽ったことだろう。もうすぐ7周年記念。こんな日々に決着をつけなくてはいけないと思いつつ、また1年また1年とだらだらと過ごしてしまった。本当にだらしのない中年になった。
いつも思うのだが、壁と向き合って生活していると心から湧き上がる悲鳴みたいなのがあって、これに左右されてしまうことが多い。誰にも話すことは出来ない。誰も聞いてくれない。これが今置かれている現状のような気さえしてくる。自宅のアパートが時々未決囚の収監所のような気さえしてくる時がある。これも最近限界を感じている証でもある。ついついハードボイルドのような文体で書いてしまうのがこの時期だ。

色々あった2003年。サイゴン時間ではまだ数時間残してはいるが、2004年はどんな年になることやら。ベトナムの慣習によると年男の年は凶と聞いた。ベトナムでは旧暦で数えるので年男は49歳となるのだが、この49歳がよくないらしい。来年はやっと凶が明ける。きっと良い年になるだろう。

皆様2003年長い間お付き合いいただきましてありがとうございました。ベト通は1月1日はお休みさせていただき、1月2日から再開いたします。またのご来店をお待ち申し上げております。





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