大先輩の後姿

Name: 朝田 光 (2003年12月12日)

Date: 03年12月12日 14時54分09秒

2月10日満60歳で大先輩が日本へ帰国した。思えばアジアに来てマレーシア赴任となり最初の上司がこの大先輩だった。ちょっとワンマンのところはあったが人柄はおおらかで優しい人だった。
聞けば海外駐在生活は24年6ヶ月に渡り、日本からアジアをサポートしていた時代を加えるとアジアにかかわって31年余りとなるようだ。会社に入社してずっと海外畑。これからの私の人生とダブルところがあり感慨も一入である。
彼の24年6ヶ月の海外生活の中にはベトナム戦争時代アメリカ軍に物を収めていたり、朝鮮戦争時代に最前線まで機械を直しに行ったりした経験もあったようだ。本人はその頃の苦しい胸のうちや苦労話など一切せず楽しかった思い出ばかり周囲の人に話して聞かせていたが、一時サイゴンを訪れたときに、以前事務所のあった付近を丹念に歩き回り昔の時代を回想していたようだ。そのときに彼の顔はいつもの仕事の顔から優しいおじいさんの顔へと変化していたような気がする。その後彼と行った中央郵便局。ここで思い出したように「日本の家族へ無事を知らせたのはここからなんだ。その当時郵便が配達されず局留めにして家族からの手紙をとりに来たものだ。この郵便局の前で事務所まで帰るのを待ちきれず立ったまま手紙を読んだものだよ。」と静かに言った。
しかしどういうわけか旧南ベトナム大統領官邸には見向きもせず、また戦争博物館もあまり感激が無かったようだ。彼にとってベトナム戦争はアメリカ軍側から見たものであり、そこに展示されているものは、彼の記憶とギャップがあったのではないだろうか。



20歳代で日本を出発して31年の長きに渡りアジアを駆け巡り、そしてやっと日本へ帰る。どんな感慨をそしてどんな思い出を持って帰るのだろうか。

帰った後は自分の故郷である東京の下町ではなく、奥様の故郷沖縄の那覇で余生を過ごすという。やはり定年後の選択もアジアから離れられないのがうれしい。

実は会社側は定年後シニアアドバイザーとしてアジアで働くことを薦めていた。若い私が聞いても結構破格な条件であったが、それでも彼は日本へ帰ることに固執した。そこの理由を完全に理解することはできないが、31年の長さが「もういい。潮時」と思わせたことは十分理解できる。また最後の半年で彼がシニアアドバイザーとして働いた時間が、彼に考える時間を与えそして決断を緩やかに促したのではないだろうか。
彼はシニアアドバイザーとしてミャンマービジネスをサポートしてもらった。彼のキャリアからくる全てが勉強になった。もう定年も近いというのにホテルでのんびりすることも無く、次から次へと自分で仕事を見つけ動いていた。私は「ゆっくりしてください。何かすることがあれば私に指示ください」といよく言ったものだが、「あなたはここの責任者。私と立場が違う」とはっきりとおっしゃった。これもアジアの文化を良く知っている彼ならではの薀蓄のある言葉である。
どうも最近アジアのビジネスを勘違いする人たちが多い。それとも私が勘違いしているのか、とにかく欧米のような契約社会ではなく人間社会を中心とした緩やかなビジネス社会なので、カリカリ仕事をしても前には進まない。
こんなことを話し合える大事な先輩がまた一人わたしの会社から去っていく。


私の潮時はいつなんだろうか





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