サイゴン深夜 そして溜息
Name: 朝田 光 (2003年11月25日)
Date: 03年11月25日 16時03分34秒
もう何度目になるだろう。プノンペンで葉巻と間違えて買ってしまった紙巻タバコ。タバコの葉と紙が別の袋に入っていて、自分で紙を巻いてタバコを作らなくてはならない。この作業に慣れるまでに何本不完全なタバコを吸い続けなければいけないのだろう。細心の注意を払ってタバコを巻き上げるが、今までうまく行ったためしがない。
私の人生もそうなのかもしれない。不完全ながら一応吸える体勢にまでした自家製タバコに火をつけながら考えた。今サイゴン時間で夜中12時を少し過ぎている。体中が疲労感で満ちている。何も考えられないのに横になるのも億劫で、何かに夢中になりたくて、吸いたくもない紙巻タバコを作る。
今まで確かに後先考えずに前に突っ走ってきた。以前には好きな言葉は「前へ」だと言ったこともあった。今でも間違ってはいないと思う。しかし疲れてくるととたんに弱気の虫が騒ぎだす。「一体何をやっているんだろう」と。
タバコがきれいに巻けていない分指に当たる感触が市販のタバコとは違ってくる。太さも一定ではないその個性的なタバコを見ながら「太く短く生きる」や「細く長く生きる」などといった言葉が去来してくる。いったいどんな人生なんだ。
自宅で酒を飲む習慣は今までにはなかった。家で酒を飲むには寂しすぎる環境だ。何に向かって語りかけ、何に向かって相槌を求めるのか。こんなことさえ考えてしまう。しかし今日は手作りのタバコという相棒片手に思わずジャックダニエルを煽ってしまう。これも私の人生の一駒。

誰のために一生懸命働くんだ。会社のためか、それも見えない株主のためか?会社が大きな利益を作り出すことが私にとっての幸せなのか?それが人生のゴールか?家族はこの状況で幸せなのか?だれが私を生きていると認めてくれるのだ?
どうでもいい思いが次から次へと浮かんでは消える。もうこの禅問答には飽きた。どんなに考えても永遠のループ。どこにも答えはない。だれも教えてはくれない。だれも道を示してくれるわけではない。だれも決して助けてくれるわけではない。
「何が合理化だ」とも思う。「人を減らして効率を上げろ」。言っている意味は聞く前から分かっている。それでも会社というのは人類の繁栄と進歩の象徴だったのではないか。その会社が効率と言う名前で人の幸せを切り刻んでいく。これは矛盾した行為ではないか。
もうすぐタバコの火が指までかかる。もうタバコを持っていられないほど指に熱さを感じる。それでも捨てられない。ジリジリと時を刻むようにタバコが燃えていく。それをじっと見ながらどうもやりきれない焦燥感を持ってしまう。
成田を出るときには夢や希望もあった。外国で働ける誇りそして新たな興奮。色々なものが交じり合って顔さえも紅潮していたのではないだろうか。40を過ぎたあたりから「夢と現実のギャップ」は痛いほど経験している。全ては絵空事ですまないことも体で覚えさせられた。今度こそ違うと思いながら、全く学習のない猿のように夢を見続けようと勝手に努力さえしてきてしまったのだ。
タバコの火は永遠に燃え続けることは出来ない。いつか火は落ちてしまう。それが火にとって本意なのか不本意なのかその意味さえ聞かされずに、結局は短い人生を灰皿の中で終えてしまう。そうなのかもしれない。
このタバコの火にとって、「どうやって最後まで光を保ち続けるのか」が「どうやって終わるのか」を考えるより賢明なことなのかもしれない。