ミャンマーに咲いた小さな花
Name: 朝田 光 (2003年11月7日)
Date: 03年11月07日 14時54分27秒
彼女と最初に会ったのはマンダレーの古寺の境内だった。最初に私の顔をまじまじと眺め静かに「日本人の方ですか」と尋ねてきた。その口調があまりにも滑らかだったので、驚いて彼女を見返すと「私日本語を勉強している学生です」と続けて言った。
彼女は3歳のときに両親と生き別れになりこの寺に預けられたという。もちろんこの仏教の古寺はお世辞にも金銭的に余裕があるわけではないので、冬でも軒下で寒さをしのぐこともあったと聞く。6歳になったときからこの寺の僧侶から物の読み書きを習い、少しずつ成長をしていくのだが、12歳になったとき彼女はある僧侶と運命的出会いをする。その僧侶は日本からの留学僧侶で彼女に週一回ずつ日本語教育を施したのだ。それから彼女は日本と日本語に夢中になった。将来の夢は日本で本格的に勉強すること、これをいつも夢見ていた。
私が彼女と会ったときにはもう26歳になっていた。14年間一生懸命勉強した日本語はよどみなく、きれいな日本語を話している。彼女の日本語にこちらが押されるような感じさえした。そして彼女が携えていた粗末なノートには毎日日本語で書かれている日記があった。多少の文法的ミスや言葉の使い方が違うところはあったが、十分に理解できる内容でもあった。しかし内容は毎日同じように「日本へ行きたい。日本で勉強したい。」この夢の繰り返しである。あまりの真面目さと澄んだ目の力に押されるように、ミャンマーのディーラーに彼女を日本企業担当で雇ったらどうかと提案をした。
彼女はこの提案にすぐ反応した。その日のうちに履歴書を持参した。しかしはっきり言えば彼女の履歴書から採用する要素は全く見つけることが出来なかった。私は静かにディーラーのオーナーに言った。「彼女を採用するのもしないのもあなたの決断です。ただこれだけの辛抱強さ真面目さ、これはあなたのビジネスにおいて今後大きな手助けになることは間違いない。」ディーラーのオーナーは腕組みしながら強くうなずき、彼女をほぼ採用とすることを前提に面接することを約束してくれた。

それから3ヶ月、シンガポールで久しぶりにミャンマーのオーナーと話をすることが出来た。最初に聞いたのが彼女のことだった。あの人の心の底まで届くような真摯な目、そして真面目な態度どれをとっても申し分ないと私も思っていた。だから彼女のその後の活躍を聞きたかったのだ。しかし答えは意外なものだった。
「彼女は入社を辞退した。」
話はこうだ。もともと彼女は寺に住み込み、たまにある日本人ツアーの搭乗員として毎日の生活の糧を得ていた。その中に日本企業の社長さんがいて、ミャンマーに進出を考えていたこともあり、彼女が気に入って採用したいと言い出した。その条件としてその会社がミャンマーに進出するまで日本で研修することと言うものだった。
もちろん彼女を採用できなかったことは当社にとって痛手だが、彼女の将来にとって、それが本当であったとしたら14年間一心不乱に願っていたことが成就するわけで私としても心から祝福をしたい。
彼女が日本へ行きそして勉強する。そしてたとえ日本へ行ったとしても彼女が14年間心に貯めていた日本への素晴らしいイメージが崩れずにそして発展していくことを心の底から祈らずに入られない。