小学校の頃
Name: 朝田 光 (2003年10月30日)
Date: 03年10月30日 14時23分31秒
結局うまくいかない。本来であれば車で8時間以上かけてプロビンス(日本の県にあたるところ)を目指していくところだった。そして帰りは飛行機で帰ってそのままトランジットでサイゴンへ帰る予定だったが、ハノイでの急な用事がこのスケジュールを滅茶苦茶にしてしまった。昨日の午後行けたのはハノイから車で1時間ほどのハティンという街だけである。本来行きたかったところの半数にも満たない。どうも最近うまくいかない。車で移動中もダナンから、金曜日にフエでセレモニーを急遽開催することになったのだが、出席して欲しいとの電話があった。ちょっと金曜日に会議の約束もしていたし月曜日からシンガポールというとあまりにもサイゴンのオフィスにいられないので、これは丁重に断った。最近船宿や尼姉からのメールは「今度はどちらへ」というものに変ってきた。この忙しさ去年の倍のような気がする。
私が宿泊しているハノイホテルの前は小学校で毎朝8時頃から小学生が大きな声で多分校歌を歌っている。これがホテルの部屋まで流れてくる。この純真な歌声を聴いている自分自身が、どうもよれよれの中年になってきており、昔自分も小学校で校庭に並ばされて歌を歌わされたことを思い出すのに時間がかかってしまった。

あの頃の私の小学校は進んでいたのか体制派だったのか、校歌と一緒に「君が代」を歌わされていた。この小学校は、父の関係で最初に入学した小学校を途中で北海道小樽の小学校に転校し、5年生のときに元の小学校に帰った最も辛いそして思い出のある小学校でもある。私は小学校時代から変な奴で、小学校のときにクリスマスに何がもらいたいかを絵にしなさいと言われて、「タイプライター」を書いた思い出がある。あの時は将来は絶対小説家になるんだと思っていた。毎日毎日くだらない小説ばっかり書いていた。変にませていた子供だったと思う。こんなことが関係していたのかもしれないが、転向して元の小学校に戻った頃は、典型的ないじめられっ子であった。毎日くだらないことで虐められていた。
ある日あまりにも頭に来てその当時のガキ大将を首投げで思いっきり投げてやった。ガキ大将はあまりのことにびっくりしたのかその場でワンワン泣いて、逆に先生に訴えられてしまった。その当時から社会なんてこんなもんなんだと考えたことを思い出す。そこからどうもひねた考え方をしてしまうようになったのかもしれない。
初恋はいつかとよく友人に聞かれることがあるが、実際のところ私には良く分からない。小学校6年のときに風呂屋の娘にきれいな子がいて誰もが彼女に好意を持つようになった。確かに私もその中にいたが、それでも今考えれば心の中のブームであって本当に好きだったのかどうか分からない。結局ブームはもちろんブームで終わったわけだが、それが淡い初恋に当たるのかどうか、何しろ今では顔をも名前も思い出せないでいる。こんなこと決め事だと言われればそのブームを初恋と呼んでもいいのかもしれないが…
転校生はやはり辛いものがあり、私の場合北海道へ行っていた空白の3年間は卒業まで埋まらず、小学校のときも心を許す友人は結果的にいなかったような気がする。今から10年ほど前かつて昔の小学校時代の仲間と会うことがあった。そのときもうっすら覚えてはいるが、どうも肝心なところまで思い出せない。彼らが楽しそうに昔こんなことがあった、あんなことがあったなど話をしていても、多分そんなことがあったんだろうなと人事のように聞いてしまう自分がいた。あの頃から自分の殻を持って表面で付き合うことを始めたのかもしれない。今でも最後の自分の核に触れられるのには恐怖を感じることがある。
すまん。つまらない話をしてしまった。約1週間、テレビでチラッとNHKを見る以外日本語に触れることは無く、ましてや日本語を話す機会も全く無いこの環境で、車で移動中やホテルでほっとしているとき、どうも昔のことを思い出してしまった。これじゃ私小説だね。
心が本当に疲れている… それでも話しかける相手は決まってジャックダニエルの溜息で作った水割り、カンボジアで買った葉巻。ホテルの暗い夜、独り言だけが増えていく。