申し訳ない
Name: 虎清水権造 (2005年8月4日)
Date: 05年8月04日 19時57分18秒
久々に読者の方からメールを頂いた。
初めてメールいたします。いつも楽しみにして読ませていただいています。最近あまり更新なさっていませんが、お忙しいのでしょうか。あるいは体調をくずされている?最新のものを拝見した限りでは精神的に落ち込んでおられるのが素人目にもわかります。もしそうならどうかご無理なさらずにお体おいといくださいませ。
Junさんからも「僕もどうしたのかと思ってました」とのメールをもらった。
申し訳ない。そんなつもりは無かったのだが…
ある人が日本へ帰るときに「日本に慣れるには駐在した時と同じ時間がかかる」と言われた。そうかもしれない。そんな環境の中ひたすら溺れてしまったのかもしれない。自分のキャリアについて取締役人事部長に文句を言い、上司にも「この仕事は自分には合わない気がする」など毒ずいてしまっている。どこかで心にぽっかり空洞ができてしまったのかもしれない。

昔のように面白い話が毎日書けるわけではない。日本で日本人的感覚でエッセイを書いていてもこんなこと「だれも面白がらないよな」などと勝手なことを考えてしまう。毎日昔のような3割打者の強打を誇る訳にはいかず。Junさんの今日の一言を見ても落ち込んで、
全く嫌なやつに成り下がってしまったわけだ。
こんな中Hさんからの上のコメントを頂き、Junさんからも心配してもらい、吹っ切れました。これからは私の思ったことを書いていきたいと思います。
ベトナムに行って来てからまた昔の仲間からにぎやかにメールをもらうようになった。彼らは彼らなりに元気に暮らしているようで、辞めたスタッフからも新しいビジネスの相談が寄せられている。人間関係とはまことに複雑かつ単純でこちらが何か仕掛けるような人間関係を構築するとそれなりの結果になり、腹を割って全てをさらけ出すとそれなりの結果が生まれる。
実は私の学生人生で告白すると一人として「親友」と呼べる人間を作ることができなかった。中学校まで受験校でノイローゼになる生徒も出たほど締め付けられ、親友など全く考えられなかった。高校から大学までは付属からのエレベーター方式でともとすれば親友形成にはもってこいだったのかもしれないが、ある意味での「イジメ」が根底にあり体育会に所属し骨の髄から体育会的精神を植えつけられたにもかかわらず、はっきり言って同じ釜の飯を食った親友というのは存在しない。常に他人に心を広げられなかったのである。会社に入っても同じ。表面はうまく付き合うが本心をさらけ出したことは無かった。結婚して女房というものと出会った。ここで初めて本心が出始めたのかもしれないが、やはりどこかに客観的な自分がいることも事実だ。
昔心理学の先生から「どうしてそこまで本心を擁護するのか」と鋭く責められたことがあったが、それでも表面上の受け答えで乗り切ってしまった。
私が本心で話しているのはこの通信が数少ないもののひとつかもしれない。
いつでも怖い
もし本心をさらけ出すと全ての友人が去っていってしまうかもしれないと怯えている。
でも今はベトナムの友人だけは笑いながら「仕方ないじゃない」と言って許してくれるかもしれない
そんな気がしてきた。