ヤッさん

Name: 虎清水権造 (2005年1月22日)

Date: 05年1月22日 18時41分13秒

久しぶりにベトナムからヤッさんが帰ってきて会おうという話になった。
ヤッさんはベト通をお読みの方ならご存知と思うが、会社定年後単身でベトナムに渡り日本食レストランのコックをしている人だ。実は私の会社の先輩でもある。
昔はこのヤッさんと一緒に机を並べて仕事をしたこともある、また彼がインドネシアの駐在長の時に出張に行きお世話になった。もう20数年の付き合いになる。
この人を一言ユニークと言ってしまえば簡単だが、実行力と決断力の速さは天下一品である。本来料理などまったくのずぶの素人。しかしどうしても働いていたアジアに帰りたくて考えた末「日本語教師」を目指して勉強を始めたが、もう60近い頭脳ではいかんせん物を記憶するのに若者にハンディキャップを感じる。クラスメートがどんどん進級していくのに、自分だけ取り残されていく。こんな感じで日本語教師をあきらめた。
最近日本語教師になりたいという人が多いが、自分が日本語を話しているからと言って、簡単に教師になれるものではない。
英語でWearであっても日本語では帽子は「かぶる」シャツは「着る」ズボンは「はく」この違いを文法的に説明できなければならない。また有名な話では「1わ」「2わ」「3ば」。どうして3だけ「ば」になるのか、など言い出したらきりが無い。日本語は世界的に見て「言語」として「勉強」するには難しい言葉の一つなのである。



話がそれた。こんな状況に彼はすばやい決断をした。すっぱり「日本語教師」をあきらめたのである。その間1年間も学校に通っていたのだが、決断は早かった。その後目指したのが「調理学校」。「昔から料理は好きだった。」という単純な動機である。
だいたい当社のようなOA機器メーカーで黄金時代に退職しているわけだから、はっきり言えば「年金」やら「退職金」など、私の時代に比べて桁違いの額をもらう人が、「アジアが好きだから」という理由でコックを目指すなんて考えられない。それを決断したのだ。
まあ後で彼曰く「そのまま枯れてしまって、ぼけたくなかった」と言ってはいたが、それにしてもあまりにも方向が違う選択である。
とにかく調理学校の昼間校を1年半通い、立派に調理免状を取得するとすぐにベトナムに飛び立った。
彼には妻も子供もいる身ながら、年金の全てを家族に渡し、サイゴンでの生活費と往復する飛行機代をコックの給料でまかなう。日本食レストランのオーナーからその仕事振りを認められ、給料のアップを申し入れられても断り、店を持たせてやると言われても首を縦に振らず、ただただ孤高の人で生活する。たまの平日ゴルフが彼の楽しみだが、彼のゴルフは極めて変わっている。スゥイングとスゥイングの間は早足。とにかくせっかちゴルフ。どうしてかと尋ねるとランチの仕込みに間に合わせたいと言う。
いつかどうして日本食レストランのオーナーからの申し出を断り続けるのかを聞いたことがある。
彼は「もう縛られるのはうんざりだ。自分の好きなときに働いて、嫌になったら違うところに行くか、日本へ帰る。責任を持たされるのももういい。金のために働いているんじゃない。毎日帰りがけに路上ビアガーデンで日本食レストランでちょろまかした刺身を片手に飲めればこんな幸せは無い。」と静かに言った。
彼はある意味でわがままだ。桜を見に日本へ帰り。このときとばかり奥さんを連れて桜前線に沿って青森まで旅をする。あるときはラスベガス、あるときはスペイン。そしてホームタウンのサイゴンへとふらっと帰ってくる。
彼こそ一流のハードボイルド実践者なのかもしれない。





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