こうやって年取っていくのかなあ

Name: 虎清水権造 (2004年9月2日)

Date: 04年9月02日 21時08分47秒

あっという間に気がついたら木曜日になっていた。今週はばたばたしたせいかもしれないが、どうも時が速く流れる。昔から幼いころの一年と年取った時の一年は気分的に長さが違うと言われていたが、改めて実感する。
だからと言ってこのコラムの頻度についての言い訳をするつもりは無いが、どうもやることが多すぎて、パニックになりそうでもある。考えなくてはいけないことが多いのだ。

帰り道もうすっかり暗くなった夜道を歩くと、遠くに門灯がポツンポツンと光っている。帰り道は結構人通りが少ないので、静寂が体を包みまるで夜の海で灯台を目指して航海しているような気がする。日本の夜道は寂しい。上海から一時帰国した知人によると、上海もそこら中、人だらけだそうである。有名な観光スポットに行っても、太鼓橋をただ渡るだけでも20分以上かかったので、もう中国で観光はしたくないと言っていた。日本は人口が減少してきているからかもしれないが、ふっと一人歩きになるケースも多い。これも風情があるからいいのだけど、東南アジアから帰って来ると、この静寂になれるのに時間がかかった。
日本の家は構造上良くできているのか、またクーラーが普及しているせいなのか、民家から生活音が聞こえてこない。ベトナムなどもちろんクーラーの普及率が低いこともあるが、かつて昔のように玄関前に椅子を取り出し、夕涼みをする人が多かった。また玄関からリビングが見通せてしまうので、奥に置いてあるカラーテレビからの騒音もあった。



こんなことを考えながら。私は結局寂しがりやなのかとも思ってしまう。一人で夜道を歩いていると、世界から自分が忘れ去られてしまったのかもしれないという恐怖さえ生まれてきてしまう。

かつて昔インドネシアで国道のそばに家族4人が寄り添って座っていた事がある。不思議に思ってドライバーに「彼らは何をしているのか」をたずねたところ、彼も休日そんなことをしたことがあると、こんなことを話してくれた。
「旦那、インドネシア人は貧しいので家にテレビなんてありゃしませんよ。ましてクーラーなんて夢の夢。そんな時家で話すことも無くなり、家族中が静かになり始めると、国道に行って車を眺めるんでさあ。そこで赤い車はきれいだとか、あの車は4人乗りだとかたわいも無いことを話すことで、一日一日過ぎていくんでさぁ。これが私たちのささやかなレジャーと言ってもいいのかもしれやせんね。」
日本では考えられない時間のつぶし方。貧しいなあで終わってしまえばこの話はつまらない。インドネシアのドライバーはこの話をした後つぶやくように言った。
「それで家族が幸せだったら、いいんじゃないですかね。」

日本の人口減少もさることながら、最近どうも人間としての尊厳やら、人間同士の本音でのコミュニケーションなんかが、日本では大幅に減ってきたと思う。リストラやら倒産やらでついに会社さえ信じられない状況に陥り、私の若いころでは花形であった金融業、商社など軒並み苦しい状況になっている。人間どう運不運が重なるのか一寸先はまさに闇だが、こんな社会なのだからいっそのこともっと本音で生きてしまえばどんなに楽かと思う日々である。





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