とんでもない

Name: 虎清水権造 (2005年10月27日)

Date: 05年10月27日 14時13分36秒

今日本に スティーブン・セガールが来ているそうだ。今度はなんと歌手でデビューするとのこと。実は彼とは 30 年以上前 1 時間以上 1 対 1 で話したことがある。

かつてロサンゼルスで業務研修をしたときに、私の秘書(というか正確に言うと英語の先生 私のオフィシャルレターやらなんやらいつも添削してくれた)が日本の武道を習うと言うのでついていった。そのころには珍しい合気道の道場で、その当時のロサンゼルスでは流行の兆しさえあった。その道場主が実はスティーブン・セガールで、やけに長身で詐欺師っぽい印象を受けた。彼は久しぶりに日本人にあったといい、私の秘書が基礎トレーニングをしている最中、ずっと話しかけてくれた。その話が日本での合気道の先生がとか、平常心とはなど極めて道場主らしい話をしているなという内容であった。それでも未だに合気道の先生というのが違和感があったような気がする。他の学校は違うのだろうけど私の育った学校は先生は一人で後は先輩後輩というのが認識。このため○○先生とは呼ばずに○○さんと呼んでいた。この感じからなのかもしれないが、私の友人が合気道部だったが、師匠か先輩と呼んでいたので、どうもスティーブン・セガールがわざわざ「先生」と呼ぶのに奇妙な感じを持ったのかもしれない。

その当時私は体が筋肉質で格闘技家らしかったので、スティーブン・セガールのほうから「一本お願いします」と言われたことも覚えている。もちろん「とんでもない」と断ったが…

有名人に出会うこと私の人生において少ない。以前書いたかもしれないがミャンマーの首相に会ったが 2 ヵ月後にクーデターで殺されたと聞いた。後はスポンサーになった今は有名な「横浜 FC 」の奥寺会長、リトバルスキー監督、城選手といった方々にお会いしたことか。このときはあつかましくも奥寺会長と痛飲させてもらった。

自分自身はマレーシアのビジネス欄で四分の一ページ特集で乗せてもらったり、ベトナムの全国紙に大きく載せて貰ったり、テレビにも何回も出た。あの当時は結構有名人で、街を歩いていると声をかけられたりもした。今は昔。





かつてカリフォルニアのモントレーという田舎町で MBA の勉強をしていたとき、隣町カーメルでクリント・イーストウッドが町長選に出馬した。このときに彼をスーパーマーケットやらレストランやらで何回もあったが、想像したよりも小柄で紳士だったことを覚えている。ただ彼の経営するショットバーは Hog's Breathe ( 豚のため息 ) という変わった名前だったことを覚えている。そういえばよく通ってあのバーでは有名な「 Long Ireland Ice Tea 」を飲んでいたような記憶がある。それ以来クリント・イーストウッドの西部劇やら「ダーティーハリー」シリーズが好きになり、まあある種のファンになった。ただ彼のダーティーハリーの決め台詞「 Go Ahead, Make My Day 」の日本語訳がつけられず今でも頭の中では英語の塊として残っている。あれはなんと訳せばピンとくるのかなあ、どなたか教えていただきたい。

ついでにまったく関係ない話なんだけど NHK でかつて昔にやっていた「プリズナー No.6 」という BBC のドラマがあって、この世界にずいぶん引き込まれた覚えがある。最近同じような人たちがいて完全 DVD も販売されているし、 HP 上でファンサイトもある。これには驚いた。もうかれこれ 30 年以上前のドラマにここまで執念を燃やしている人がいたなんて。

 

ところで前作の「楽あれば苦あり」は評判が散々で、 Jun さんからも無視され続け、どうも新天地を開拓しようとしたのに失敗したようなので、改めて考えたいと思います。失礼いたしました。





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