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(第16話)

明けと共に男達は海へ向かった。風がやや強めに浜から海に吹いている。その風圧に体を押し戻されないように羽ばたきの数を調整しながら数羽のカモメが上がったり下がったりしている。薄い朝の陽光はその羽根をオレンジシャーベットに変えていた。
 シキダで会った小柄男は、本庄宰二といい、テレビ番組 「ボンジの娘をよろしく」の「サイジョウボンジ」と名前が錯綜していたので「ボンジ、ボンジ」と呼ばれていた。このころのサーファー達は、「パンチDEデート」や「フィーリングカップル5対5」といった軟弱系番組ではなく、「ボンジの--」や「唄子、啓介のおもろい夫婦」「なべおさみの女ののど自慢」といった人生の機微を巧みに嗅ぎ分ける人情系番組をそのステータスとしていた。
 このボンジともう二人の男達は、砂浜に置いたサーフボードの表面に滑り止めのワックスをゴシゴシと塗り込むとボードから伸びたゴムのワイヤーを右の足首にマジックテープで留めた。私と綱川と高田は、ここまで付いてきた女達のように砂の上で膝を抱え、じっと彼らのすることを見ていた。でも本当は「彼氏の波乗りを見に来た」訳ではないのだから、板を小脇に抱え砂を蹴って走って行く男3人の後ろ姿を追っても空しいばかりだった。まして「無造作に脱ぎ捨てられた彼のTシャツ」を「ウフッ」などと小首をかしげながらたたんでやるということもありえない。ボンジ達はそのまま波打ち際へ走り込むとサーフボードと自分の体を同時に水面に投げ出すように滑り出ていった。私と綱川と高田はしょぼくれた。そして私はそのまま手足を投げ出すように砂の上に寝ころんだ。真上の空は少しづつ青の濃度を増し始め、切れ切れになった小さな雲がゆっくりと流れていた。そうしていると意外にも苛立った気持が静かに収まっていくのが自分でもわかった。
「おい、いいなぁ。でもやっぱり海はいいなぁ」
少しその場に似つかわしくないくらいしみじみと私は言った。
綱川と高田が振り返って私を見下ろした。私の言った意味が解かったらしく二人ともその場に寝ころぶと同じように空を見上げた。大き過ぎる空の面積とはっきりとした潮騒に気圧されて私と綱川と高田はしばらく黙ったままそうしていた。そしてそのまま3時間も眠ってしまった。

「おい、寝てんじゃねえよぉ」
何となく気配を感じて目を覚すとそこに立って我々を見下ろしていたのは、ボンジ達ではなかった。髪の毛を五分刈りにし、「たじま」という銘の入った紺色の半天に地下足袋を履いた目の鋭く細い男と丈の長いガクランの前がはだけた3人の高校生だった。
「なに寝てんだよぉ」
また「たじま」が言った。
「勉強もしないでこんな事してていいのかよぉ」
「たじま」が高田の脇にしゃがみ込みながら3人のツッパリ高校生を見たので、彼らも「ククク」と笑った。もう昼に近い時間だ。彼らも授業をサボってこの辺をぶらついていたのだろう。上半身を起こした高田の耳が真っ赤に染まっている。動転している印だ。綱川はあごを引いている。困っているのだ。私も厄介なものにからまれてしまったなと思った。
「おまいらみたいのナンつーの、サーファーっつーの」
「たじま」半天は綱川を見て顔をクネクネと上下させながら言った。
「いえ、僕はまだやったことないんです」
咄嗟に出た自分だけは部外者だと言わんばかりの言葉に、高田が慌てて綱川を振り返った。見返す綱川の目は「だってほんとだもん」と訴えていた。
「知らねーけどよぉ、おまいらみたいのムカつくんだよぉ」
「たじま」半天の声にさっきまでのおちょくった様な響きが消え、ドスが入ってきた。
「ちょっとウチまで来てみ」
「たじま」が立ち上がって言った。
「なぜでしょうか」
高田が耳を赤く染めながら言った質問で何かが弾けたように「たじま」半天が高田の髪の毛を掴んで引き倒した。
(第17話へ続く)




(第15話)

夜中のハイウェイの路肩で腕組みをした男が3人、足下に転がる2枚のサーフボードを見つめている、という光景はとてもグラフィカルだ。しかし、通り過ぎる車達には全く目に入らないのか、ただ乾いた重たい風切り音を残していくだけだ。それがことさらに孤独感をあおる。あのスカGでもいいからそばにいて欲しい。「パパラ、パパラ」くらいは言って欲しい。
「ウーん」と綱川が改めて深く唸った。
「まぁ、しかしなんだな」とその後に続かない事を私は言い、困ったなと思ったが
「とにかくシキダまで行こう」と、高田がうまく会話を拾ってくれたので「まぁ、しかしなんなんだよ」などと突っ込みを食らわなくて済んだ。
 私達は無残な姿のサーフボードをもう一度車のキャリアにしっかりと括り付け、のろのろと路肩から走行車線に入っていった。もう誰も浮かれていなかった。黄桜の替え歌もなかった。カラパナもなかった。らじの歌だけがしんみりと車内に流れていた。
 ハイウェイを下りて国道122号線に入りしばらく行くとミラージュは、左側に見えてきたセブンイレブンの前で停車した。そこにはキャリアにサーフボードを積んだ車が小さな駐車場から国道まで溢れるように並んでいる。
「ちょっと休憩」と高田が言い車を降りたので私と綱川も続いた。セブンイレブンの駐車場には大勢のサーファー達が立ち話をしながらタバコをふかしたり、中でお湯を入れてもらったカップスターを美味そうにすすったりしていた。店内でも、お菓子や食べ物を物色しているもの、雑誌の立ち読みをしているもの、みんな茶色く脱色した長い髪をしたサーファー達だ。店の中に進みながら高田も何人かのサーファーと軽い挨拶を交わした。どうもこのセブンイレブンは、千葉方面サーファー達の休憩ポイントになっているらしい。高田は慣れた様子でおにぎりとタバコを少し買い、雑誌などをペラペラめくっている。ここであまりまごついては他のサーファー達に「初心者かい」となめられると思い、私と綱川は、意味もなく「フフン」と鼻で笑い、鮭とメンタイコのおにぎりを買うのであった。店の外で缶コーヒーを飲みながらタバコを一服すると我々は再びミラージュに乗り込み、御宿の海へ向かった。 夜中の1時であった。
 シキダは本当に国道を隔てて御宿の海の真ん前にあった。古びた木造の小さなハナレだったが、昔の造りらしく天井がとても高い。玄関横の物干しには2枚のウエェットスーツが掛けられ、外壁には4枚のサーフボードが立てかけられていた。何かその光景が私にはときめきの別世界に思え、月明かりに浮き上がったシキダの前でボーっとしてしまった。
「あれ、洋介来たのか」
玄関の中からちょっと南こうせつに似た小柄な男がダラっとしたTシャツをさり気なくたくし上げながら高田に声を掛けてきた。
「おお、来た」
その会話には何の感慨も起伏もない。こんなところで再会した友人との挨拶にしては淡泊すぎて私には不自然にすら思えたが、それが彼らの日常なのだろう。何年かぶりの大波を前に再会した男3人が波乗りを終えると「じゃ」と言ってそれぞれに別れていく「ビッグウエンズディ」のようではないか。
「あ、綱川と梶谷」高田がその小柄男に紹介した。
「あ、こんにちは。宜しくお願いします。お邪魔します」綱川は腰が低い。
「ども」小柄男はそっけない。
「今日はどうだった」高田が小柄男に聞いた。
「肩ぐらい」
肩というのは波の高さを表わすサーファー言葉らしいがその肩というのが、大きいのか小さいのか、いいのか悪いのか私と綱川には全く見当がつかなかった。
「布団ないけどその辺で寝て」と高田が言った。
見ると10畳ほどの畳の上ですでに二人の男が肘まくらで眠っていた。 「ほんとに女人禁制だな、これは」と、綱川が寂しげに言った。
(第16話へ続く)




(第14話)

来るだけ早目に出て向こうでゆっくりしようと言っていながら、綱川を乗せた高田の赤いミラージュが私の家に来たのは夜の10時過ぎだった。クラクションに急かされながらバッグを肩に引っ掛けて表に出てみると、低い屋根のキャリアに括り付けられたふたつのサーフボード、高田の「マークリチャード」と綱川の買ったばかりの「タウン&カントリー」が外灯に照らされて鈍く光っていた。私は何か胸の内側が総毛立ち、窓から顔を出している綱川の傍へ駆け寄った。綱川は、「わかっている、わかっている、何も言うな、俺も同じくらい嬉しいのだ」という優しい笑顔で何度も頷いた。
 西荻を出発した赤いミラージュは、井の頭街道から環八、甲州街道高井戸から首都高へと加速した。車内には、カラパナパブロクルースセシリオ&カポノのテープが繰り返し繰り返し流されている。私達は久しぶりに浮かれていた。綱川はやはりどこかで「海辺のナンパ」を期待しているらしく、「ナンパッパー、ルンパッパー、ナンパッパー、ルンパッパー」とカッパ黄桜の節で替え歌を唄っていた。首都高も銀座を過ぎ、小松川方面の標識が出てくる頃になると、分岐していくハイウェイを縁どるオレンジ色の灯りの連なりが中空に迫り出していくようで、夜の首都高がこんなにも爽やかに美しいものだということを初めて知った。
と、人がせっかく都会の新しい情景に心打たれているのに、首都高から京葉道路に入る頃になると千葉ナンバーのスカイラインやセリカが騒々しくまとわり付いてくる。1台のスカGが、ルーフのサーフボードにあからさまな敵対心をもってピッタリと後ろにはり付いた。小さなミラージュは追越し車線から汗をカキカキ走行車線へ移動する。しかしそれでもグレーのスカGは、そのままミラージュのお尻から離れようとせず、同じように車線を変更し小さく蛇行するようにあおってくる。ミラージュは非力で有名だし、私達3人もミラージュ以上に非力で有名だったので、あまり手荒い対抗手段に出るということは出来なかった。
「やだねぇ」
「やだなぁ」
などとババアみたいなことを言い合っている。
こういう人達にはあまりまともに反応してはいけない。だからと言ってシカトしていても、彼らにとってはそれが「シカト」というちゃんとした反応であり、物事はどんどんエスカレートし兼ねない。なにか、「けっ、おもしろくねぇ」と退散したくなるようなバカバカしい対応の仕方がよい。「ああ、こいつらは異次元の奴等だ」と思わせるようなスマートで美しい対応の仕方。 後部シートに座って何度も後頭部にヘッドライトのパッシングを浴びていた私は、ズボンのベルトを弛めると両手を後ろに回し、ズボンとパンツをツルンと押し下げた。それから後部シートの上に立ち中腰になると、ハッチバックミラージュのリアグラスに肉が押しつぶれるように剥き出しのケツを押しつけた。スマートで美しい対応かどうかはわからぬが、ハイビームライトに浮かび上がった白いケツに怖れをなしたのか、スカGは、いきなりスピードを落とし、見る見る間に小さくなっていった。
どこか途中のインターチェンジで下りてしまったのか、もうスカGはやって来なかった。
「後でケツの指紋拭いといてくれよ」
高田が心配そうに言った。
「ケツに指紋はないよ」
綱川もホッとしたようにまたカセットテープを入れ替えながら独り言を言った。
それからしばらく私は、後部シートからルームミラーで後ろを伺っていた。
突然、屋根の上でガタッと音がしたかと思うとルームミラーの中を何かがヒラヒラと舞いながら小さくなっていくのが見えた。私はすかさず振り向くとそれがなんなのか確かめようとした。
それは、高田と綱川のサーフボードだった。

ミラージュは慌てて路肩に停車すると用心深く「事故地点」までバックした。
それは、車線の中央に散乱していたので後続の車からも非常に危険な状態だった。私達はともかく車の途切れるのを待ち、走って回収した。路肩に回収したふたりのサーフボードにはすでにフィンがなく、表面の樹脂が大きく割れてズタズタになっていた。
私達は、ハアハアと息を付きながら「遺体」を見下ろし、無言のままその場に立ち尽くした。

「むごい」
綱川が絞り出すような声で、呟いた。
(第15話へ続く)




(第13話)

「ねぇ、オカワリちょうだい」
氷だけになった背高のグラスをおでこの高さで少し左右に振りながら高田洋介がこっちを見ていた。
「おかわりね」
私はピンボールゲームの最中だったが、落合さんはカウンター越しに杉さんや藤木のよっちゃんと話し込んでいたし、さすがにバイトがピンボールやりながら店長に向かってオーダーの声を掛けるというのも態度がビッグすぎると思ったので、中で暴れ回っている銀色の鉄球を見殺しにしてカウンターへ戻った。
「みっちゃん、あたし持ってってあげる」
グラスいっぱいの氷の上に少し濃いめのコーヒーを注ぎ、白いストローを1本ポンと投げ込むと、カウンターの向こうから孝子姫が両手を差し出した。
「あ、そう。じゃ、頼むね。」
孝子姫は左手にグラス、右手にペラペラのコースターを持って、高田と綱川がいるテーブルへ歩いていった。2人はずいぶん長いこと「波乗り」についていろいろと話しをしているようだったが、孝子姫は高田の前にアイスコーヒーをそっと置くとそのまま高田の隣の席に座った。
 高田洋介と孝子姫が付合い始めたのはホンの2週間ほど前からだった。
 その日は、シティマジックに綱川や高田、藤木のよっちゃん、謎の住人臣野さん達が夜の8時くらいまでウダウダ残っていたが、杉さんもいないのにオッカケの孝子姫が珍しくお店に来ていたので、たまには皆で呑みに行こうということになったのだ。私もその日は丁度上がりの時間だったので、西荻窪の「風神亭」で風神ワンタンやサモサをつつきながら遅くまで呑んで騒いだ。1時過ぎにお開きになった後も、私と綱川と高田と孝子姫の4人は、なおその場を立ち去り難い気配を残し、更に閉店後のシティマジックに忍び込んでもうひと呑みしようということになったのだ。店の中では、キッチンに一番近いテーブルを酒宴の場と指定し、ひっそりと卓上ランプにだけ灯を入れた。それぞれの顔だけがボオッと照らされながら向かい合っているとなにやらそれは「邪教の密会」の様なたたずまいもあり、「死後の世界」とか「霊は存在するか」等と、知らないうちに話題はどうしてもオドロオドロしい方向へ向かってしまうのだった。3時を過ぎるころから私と綱川は大あくびを連発しだし、いつの間にか眠りの沼にはまっていくのだが、高田と孝子姫はそのまま朝まで話し込み、その成り行きの中で何かしらの了解事が成立したようなのである。
「孝子姫は膝下が長い。膝の下が長い女というのが俺は好きなのだ」
と高田が言っていたのを聞いて、女を選ぶポイントというのも人それぞれあるものだなぁとしみじみ思った。

「チームの本拠地は千葉の御宿だ」
「そうか、千葉がいいのか」
「ああ、千葉の方が遠いけど湘南より確実にいい波が立つからな」
高田がいかにも波乗りの経験を積んだ風に言った。
「ここを出るのは夜中とか明け方になるのか」
私もピンボールに戻りながら高田に訊ねた。
「それでもいいんだが、俺達にはシキダがあるからな。もう少し楽な時間に出て向こうで寝てしまえばいいんだ」
「シキダというのはなあに」
綱川がまた新しい言葉が出た、という感じで飛び付いた。
「御宿の式田さんという漁師のハナレをチームで安く借りているんだ。一軒家だから、誰でも好きなときにシキダで休むことが出来るんだよ。そのシキダの前は道路を隔ててもう海なんだよ」
「それはいいなあ。すごいねぇ」
綱川はうれしそうに背筋を伸ばした。
「私も行きたい」
孝子姫が叫んだ。
「ああ、いいんじゃないの、ね」
綱川が高田を見た。
「それはだめなんだ。シキダは女人禁制なんだ。波乗りは男のスポーツだからな」
「えー」孝子姫は人さし指を目の下に持っていき泣きまねをした。
「そうなの? 女は連れてっちゃだめなの?」
綱川も狼狽していた。
「女人禁制」だとか「男のスポーツ」だとか、高田もなんだか二子山親方みたいな事を言うものだとボールを弾きながら思った。
「この先ずっとだめなの? 向こうで知り合った場合は例外?」
綱川はしつこかった。
(第14話へ続く)





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