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(第12話)

ルバイト先の喫茶店に気安い常連と自分の友人しか来ない というのは、何とも楽なことだ。している事はそこでウダっている他の連中と変わら ないのに自分だけ1時間毎に550円のお手当てを貰えるわけだ。ただ、お店の現状を思 うといつまでもこういうことが続くのは非常にマズイということはわかる。わかるけ ど私にはどう仕様もないし、毎日がとてもフワフワと楽しいのだからそれに対して何 か禁欲的な措置を講ずるという気は毛頭なかった。今日も昼を過ぎる頃からバラバラ と仲間たちがこのシティマジックに集まってくるはずだ。
 綱川と高田が店に入ってくるとさっきまでの重たげな空気が霧散して、また賑やか になる。綱川は私と同様予備校に通う身だが、高田は高校からエスカレーターで大学 に入学したばかりだ。最近は高校時代の級友たちとサーフィンチームを作り、毎週千 葉や湘南の生温い潮水に身体を浮かべていた。天然パーマの彼は、他のサーファー達 の樣に「茶色く潮焼けした肩までの髪をオフショアの風になびかせる」ことが出来な いという嘆きを持っていた。
 その日高田と一緒に入ってきた綱川を見て「おやっ」と思った。彼が小学校時代か ら頑なに通してきた美しい七三分けの髪の毛が中央から半々に分れていた。落合さん やらみんなから同じように囃された綱川は、
「高田のサーフィンチームに入る」
と得意になって宣言した。何にでも不用意に首を突っ込む彼を見て、私は「またか」 と思ったが、案の定、
「土曜日にサーフボード買いに行く。アメ横でスケボーも買う。みっちゃんも行こう」
と言う。私は落語の「あくび指南」を思い出し、不遇な道連れ役をやるのはもう嫌だと 思うのだが、ついつい承諾してしまう。でも綱川みたいな素直な顔して「サーファー」なんかなれるのだろうか。「基本的に陰険な細目をしている」というのが私のサーファー像だったので綱川にはちょっと似合わないような気がした。その半面、ファーラーのパンツやアディダスをはいてモアモアとムスクの匂いを発散させていると「サーファー」とか「ハマトラ」という種族の女性達がなんとは無しに周りをさまよい、取り巻いている、というのも私のサーファー像であったので、「まあ仲間にならないでもないぞ」という気持は持っていた。
「ねぇ、高田。それでどういうのを買えばいいの」
「いろいろ回ってみたほうがいいよ。チームの奴から中古を買った方がいいかも知れないな。とりあえずだから」
「それはいいな」
「ウエットスーツもあると思うよ」
高田の答えにうれしそうにうなづきながら、
「早く行きたいね、みっちゃん。僕はあの波がクルッと丸くなった中に入ってみたいよ、早く」
綱川のせりふには本気なんだか冗談なんだかわからない純真さがある。
「今の状況でそういうことをあまり人前で言うな」
と、高田が心配した。
 私は高田と綱川の会話を横から聞きながら、店の真ん中にあるピンボールマシンに100円硬貨を入れた。このピンボールは、ゲーム中に定められた得点をクリアする度に再ゲームができる。ある程度うまくなれば100円で結構長い間楽しめるのだが、私は、機械をちょっと操作してこの再ゲーム数を99まで増やしてしまう、という方法を見つけてしまった。これで私は最初の100円で果てしなくゲームを続行するのだ。常連の友達とは途中で入れ替わったりするので、1日掛けてこの99を減らしていくだけだ。だからこのピンボールにも全く売上が残らなかった。ビンビン、ガチャンガチャンとピンボールの音をさせながら私は、長い髪の自分の姿を想像してみた。水飛沫を大きく上げながら体を大きく傾けてターンする感じを思い浮かべてみた。それから少しニヤッとした。
    (第13話へ続く)





(第11話)

れはあまり気のはいった激しい一撃ではなかったが、落合 さんの背中が少し右へカシいだ。そしてまたゆっくりと元に戻る。何かそういうこと を予め知っていたかのように落ち着いた静かな気配。孝子姫は、両手で口と鼻を覆っ たまま体を凍らせている。
「黙っていてはわからない」
眼鏡の初老は、大きく掻き乱れてしまった店内の空気をまた元の塊に戻そうとする ようにゆっくりと口を開いた。落合さんは真っ直ぐ前を見たまま黙っていた。
 またしばらく沈黙が続いたが、眼鏡の初老がテーブルの隅にあった伝票に手をやる と上着の胸ポケットから黒い革の財布を抜き出し、千円札と一緒に元の場所に置いた。 とても腹立たしいようでどこかやるせない表情なのが私には意外だった。眼鏡の初老 はそのまま静かに立ち上がると入口のドアを押し開け、こちらを振り返りもせずに西 荻の駅に向かって歩いて行った。
飲みかけのコーヒーカップを両手に持って厨房に戻ってきた落合さんは私達の顔を見 ると少し照れ隠しでハハハハと笑った。その場で倒れ込むほど何か深刻で暴力的な状 況に陥っているわけではなさそうだということがわかって私は少し安心した。
「だいじょぶ?」
それでも話の中身を聞ける立場にあるのはとりあえず杉さんしかいない。
「ああ、だいじょぶ、だいじょぶ」
コーヒーカップをカウンターに置きながら杉さんに笑いかけた。
「親父なんだ」
何でもないことのようにそう言うとハイライトに火をつけた。
「何でも心配なんだよね。親父さんは」
杉さんが何となく事情を知っている風に言った。
「うちなんかもう死んだと思ってんじゃない」
藤木のよっちゃんはそう言うとまたヒャハハハと笑った。
そうか。大学7年生と言えばもう25か26だ。普通は就職してそろそろ一線でバリバリ やっているころなんだろう。その上慶応出ともなれば親はそれなりの期待をかけてい るはずだ。学生やら何か訳のわからない連中と「喫茶店」をやっている息子を見てい るのは、なんとも腹立たしくやるせない思いなのだろうな。そう考えながらもまだ大 学すら受からない私には、その先にある就職とか人生とかいうことまで深く考える事 は難しかった。
私は、この話にあまり立ち入ってはいけないような気がしてカウンターのダスターを 取ると落合さん達がいたテーブルを拭きに行った。少し水気の多いダスターで拭くと ガラス面の下にあるインベーダー達がブヨブヨと反射して見にくいので、もう一度カ ラ拭きをした。
「みっちゃーん。今日は高田くんは来るかなぁ」
藤木のよっちゃんがカウンターから振り返ってうれしそうに言った。
「来るでしょ。そのうち」
「キャハハハ。もうやめてよね」
左手で口を押さえた孝子姫が右手で藤木のよっちゃんの背中をたたく。
高田洋介というのは最近よくシティマジックに来るようになった私の中学校 からの友達だった。彼はちょっとチューリップの財津に似た端正な顔だちをしていて 女の子にもてたが、とぼけたところがあり、することがスットコドッコイなので付合 っても長続きしない親近感の沸くタイプだった。昔学校の「検尿」を「検便」と勘違 いし、小さなスポイトの中にビッシリうんこを詰めてきてクラス中の笑いものになっ たことがあった。みんなは一人重くて真黒いスポイトを提出したことを笑ったが、私 にはあのスポイトの中にどうやってうんこを詰めたのかということの方が驚きだった 。彼の両親は画家だったので手先は起用だったのかも知れない。

「ハロ、ハロー」
入口のドアが開いて綱川と高田が入って来た。 (第12話へ続く)






(第10話)

が通い始めた予備校には、まだ連れ立って昼飯を食ってい くという友達もいなかったので授業が終わるとサッサとお茶ノ水の駅から中央線に乗 って帰る日々が続いた。高校時代と違って生徒達の目的もはっきりしているわけだか ら休み時間であろうとお互いに話し掛けるようなこともしないというのは、当たり前 なのかも知れない。西荻の駅を降りると私は家に戻らずそのままシティマジックへ向 かった。シティマジックにはちゃんとランチセットというものがあったが、昼時にそ れを食べているのはたいてい常連の臣野さん藤木のよっちゃんくら いで普通のお客さんが注文しているのを見たことがない。それでも店長の落合さんは 平気なようでいつもピンと立てた人さし指と中指の第2関節にハイライトを鋏んだま ま厨房の中に座って笑っていた。臣野さんは、お店の入っているマンションの7階に 住んでいる学生だったがいつ大学に行っているのか分からない人だった。こんなマン ションに一人で住んでいるのだからきっとボンボンなんだなと思っていたが、物静か で時折ニヒルに笑う姿に密かに憧れてもいた。エレベーターで昇降するだけとあって 日に何度となくやってきてはコーヒーを飲んで静かに帰っていった。藤木のよっちゃ んというのはもっと分からない人で学生でも社会人でもないようだった。彼はお店か ら歩いて1分ほどの狭苦しいアパートに住んでいたが、いつも違う女の人と西荻の町 をふらふらしていて私はとても興味を持った。ボアの付いた皮ジャンにピチピチのジ ーパン、ウェスタンブーツというのが定型だったが、背が高く顔立ちも悪くなかった ので結構決まっていた。だけどいつもニヤケていて、私と会うと「ヘーイ、みっちゃ ん、げんきぃ」と言ってケタケタケタと笑った。
 ある日、いつものように私がお店に出ると厨房の中でタバコを吸っていたのはこの 藤木のよっちゃんだった。厨房との境にあるカウンターには杉さんが座っていて、そ の後ろのテーブル席には杉真理ファンクラブの「追っかけ」NO.1である女の子がいた 。彼女は大妻女子短大生でみんなから孝子姫と呼ばれ、杉さんが店に来ると きには必ずくっついてきた。杉さんには私が今まで見たこともないような綺麗な彼女 がいたが、孝子姫には何の支障もないことのようだった。その他にお客はいなかった が入口脇の少し凹んだテーブル席には、眼鏡をかけたスーツ姿の初老の男性と落合さ んが向かい合って座っていた。私はカウンターに近寄ると藤木のよっちゃんに、
「どうしたんですか」と小声で聞いた。
「えっ?しんないけど俺いま店長代理」
そう言うと藤木のよっちゃんはまたケタ ケタと笑った。そして、
「みっちゃん、今なら何でも俺の奢りだからバシバシ注文して」と言った。
「藤木が店長じゃすぐつぶれるよ」と杉さんが笑ったので孝子姫も口を大きく開けて キャハハと笑った。杉さんというのはとてもおっとりした気さくな人だったので私は 大好きだった。初めて杉さんに会ったとき私は彼に「尊敬するアーティストはだれで すか」とドキドキしながら聞いたことがある。杉真理くらいの有名人ならきっと「ス タッカート・ビンデンベルグ」とか「シャバダバダ・シェルル」とか、なにしろ聞い たこともない難しい名前を言うだろうと身構えていたのに彼がきっぱりと答えたのは 「ポール・マッカートニー」だった。私は心の中で、ポ、ポールマッカートニー?  な、なんだ、それなら俺でも知ってるな。あはは、そうか。そういうのでもいいのか 。ポールマッカートニーでもいいのか。といきなり安心し、うれしくなった。それか らは人から「どんな人好き?」という嫌な質問を投げかけられても胸を張って「ポー ル・マッカートニー」と答えることにしている。
「じゃ、みっちゃんかわろうか」と藤木のよっちゃんが立ち上がってカウンターの外 に出ようとした。
その時、初老の男性と落合さんが向き合って座っているテーブルがガタガタンと大き な音を立てたので私は反射的に振り返った。
眼鏡にスーツの初老が落合さんのこめかみを殴りつけた。 (第11話へ続く)






(第9話)

うとう私は一人きりになってしまった。ゲレンデに出てき た一般のスキーヤーたち も生徒の列とポールを隔てた反対側に人垣を作り始めた。白く輝く烏帽子岳や浅間山 、八ケ岳などの連山がウォンウォンという人鳴りの中で大きくなったり小さくなった りする。
 とても遅かったが全ての旗門をきちんと通過してゴールに向かう綱川 は、き っと心から安心したのだろう、ゴールの手前で初めてストックをひと掻きした。そし てゴールをくぐると「向こう側のひと」になった。その場にしゃがみ込んで生還の 喜びを満喫する綱川をもう誰も見ていない。自分を取り巻く一切のシガラミから開放 された一瞬。私も早く「向こう側のひと」になりたい。

 永い間止っていた時と景色が突然動きだした。何のけじめもなく私は雪を蹴った。 あっちこっちに飛散した気持を綱川のようにきっちりと「無事滑り降りるのみ」という 一点に押し込めることができなかった。その迷いが私の重心を不安定にし、板を加速 させた。 第一旗門が予期せぬ速さで迫ってきた。私は激しく顔をこわ張らせながらギシギシと きしむ左膝に渾身の力を送り込んだ。板が流されながら右に回転する。流された分、 第二旗門に入る角 度が小さく急になった。再び私は右膝に力を入れ板を押さえようとするが既 に身体はそのスピードに怖れをなし後ろへ傾いている。だめだ!さらに板は大きく流 され、体勢を建て直す間もなく第三旗門はすぐ目の前に迫ってくる。何故なんだ。こ れでは信 州大より速いではないか。実際は全くそんなことはないのだが、目まぐるしく変化す る視界がそういう錯覚を呼ぶ。私は顔をクシャクシャにし「ウワ、ウワ」と泣き 声とも叫び声ともつかぬ悲鳴を上げている。第三旗門へ入る角度はもうゼロになって いた。すでに真横に近い。これ以上は無理だ。減速しろ!減速だっ!しかし板 は脳ミソのないイノシシのように哄いながら突き進んでいく。
 もう全てが遅か った。つぎの瞬間、右肩をしたたかポールにぶつけると私はコースの外に大きく放り 出された。そこには生徒達の列がある。私は無意識のうちにエッジを鋭く立て、体を 折り曲げた。板は急停止し、勢い余った体は半転しながら弧を描いて背中から落下し た。私は裏返ったカメのように脳天を谷に向けそのままの勢いで落ち続けた。
 ぐらついた意識の中で次々と生徒達の顔が見えた。不用意に起き上がろうともがく と背中が丸まりさらにスピードを増した。私はぐったりして走馬灯のように遷ろう生 徒達の顔の向こう側に見える白い雲を追った。いったい何ということだ。俺はここで 何をしているのだ。そう思うととても悲しくやり切れなくなった。
結局私は「向こう側のひと」を心待ちにしながら、「カメ公」にしかなれなかった。


 綱川は気の毒なくらい私に気を使ってくれた。私にとっては霊柩車同然の帰りのバ スの車中でも彼は私を励まし続けてくれた。
「みっちゃんの背中速かったよ。ウサギとカメの競争もさ、あれ雪山だったらすぐカ メの勝ちだね」
 バスは関越自動車道を降り、乾いた風がホコリを舞い上げる甲州街道を新宿駅西口 へと向かった。私は車窓からの見慣れた風景に気持を少し持ち直しながら、「明日は まず少し仕入れをしなければ」とずいぶんと永い間留守にしてしまった気がするシテ ィマジックの黄ばんだ冷蔵庫の中身を思い浮かべてみた。     (第10話へ続く)






JalanJalanへのお便りは、JUN