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(第8話)

の信州とはいえ、快晴ともなるとゲレンデは汗ばむほどだ。 雪面からの照り返しもきつく、眼に染みてくる。時折木々の枝からドサッと音を立てて雪塊が落ち、驚いた 野鳥たちが1、2羽騒がしく羽をばたつかせて青い空に吸い込まれていく。雄大で静か な風の中を自由に飛翔する彼らの姿は、永く待ち侘びた春の接近を大きく広げた翼で あますところなく受けとめようとしているかのようだ。今、彼らのように好き勝手に大空 へ飛び立つことが出来たらどんなにいいだろうか。 しかし、この足に噛みついた不必要に重い靴と長い板が、囚人の足枷と鉄球の様にそ れを阻んでいる。
 ジグザグに設置された20本以上の旗門に淵どられたコースと平行に、生徒も全員内 側を向いて一列に並んだ。彼らも麓近くまで立ち並ぶポールをまのあたりにして、そ のただならぬ気配に緊張を隠せない。
 準備は整った。旧式の拡声器を片手に持った東 女の幹部が、生徒達の緊張をほぐすかのように柔らかな声で話し始めた。
「みなさー ん。おはようございまーす。それではこれから皆さんでスラロームをやってみましょ う」生徒達は、エーとかゲーとかそれぞれがためらいの声を上げ笑いがおこる。
「今 まで皆さんが練習してきたとおりに滑ってもらえばいいです。記念にタイムは計りま すが、競争ではありませんから、それぞれのペースでゆっくり滑ってください。わか りましたかー」生徒達はまた声を上げる。
「それでは、まず、皆さんのコーチ達に模 範演技をしてもらいましょう。コーチ達の滑るコースをよく見て同じように滑ってく ださい」
しゃべり終わると彼女はスタート台にいる我々を見上げ、一つ小さくうなず いた。それを合図と見て信州大は我々を振り返り「よっしゃ、いくよ」と短く声を上 げた。彼はいきなりポールを握る手に力を入れると右の板を大きく後ろに跳ね上げ、「はぁっ !!」と一声叫ぶとババッという風を切る音を残して落ちていった。一本目の旗門に肩 をぶつけ、ポールがしなったと思う間もなく身体は大きく切れ上がり、飛ぶように二本目 に肩が入る。腰から下が大きく左右に揺れながら彼の背中はどんどん小さくなってい く。彼が残していったポールの振動が全部に伝染していく。凄い! 速い! 凄 すぎて生徒や部員達も声が出ない。ゲレンデスキーを見ていると実感できないがこれ が彼らの本当の腕前なのだ。最後の旗門を通過すると苛立ったようなスケーティング をしながらゴールに飛び込む。あっという間の出来事だった。生徒達は歓声を挙げる。 どよめきと嬌声が続く中、間発を入れず新潟大の3人が続く。研ぎすまされた技とエ ッジが、雪面を切り込んでいくガッガッという音が、私と綱川を震え上がらせた。

 そして、とうとう私達の番が来た。
スタート台の上で合図を待つ綱川は、かよわい濡れぎつねの様に全身を震わせて怖れ と戦っている。トランシーバーを持つ部員の片手が上がる。参加者全員の眼がスター ト台の一点に集中する。
「がんばれよっ」私はその場に全くそぐわない無意味な一声 を掛ける。ためらいがちに綱川の重心が前に移った。綱川の板は、まるで蛇が階段を 降りるようにヌルリと動きだした。前の4人がそれこそ倒れ込むように第一旗門に飛 び出していったのと対照的に、綱川のスキーはそのままヌルヌルと這っていくように ポールに向かう。スピードを乗せまい乗せまいとしている気持が痛いほどわかる。第 一旗門を無事通過。第二旗門の入り口で少し谷足が開く。しかし、無事にクリア。そ れにしても遅い。背中を丸めて次のポールに向かう姿は、差し詰めじじいの障害物競 争を見ているようだ。生徒達も他のコーチのスピードとリズムに慣れてしまったせいか、どう反 応してよいのか戸惑っている。せめて彼のクラスの生徒達だけでも彼を優しく見守って 欲しい、理解してあげて欲しい。私はなかなか小さくならない綱川の背中に手を合わせた。      (第9話へ続く)





(第7話)

食の賑わいが去ったロッジのダイニングは、ガランとして寒々しかった。オーナーが飼っている大柄な猫が2匹、火の落ちかかったストーブの傍でうずくまっている。ゲレンデでは堅牢なスキーウェアに身を固めた部員達もひとたび宿に戻ると女性の顔を見せる。ミーティングに集まった彼女達の発散する石けんとリンスの香りが私を包み込み、果てしなく優しい気持にさせるのだった。
「えー、今日もお疲れ様でした。コーチの皆様、レッスンの方、どうもありがとうございました」
「お疲れさまぁ」
「いよいよ明日は最終日ですのでレッスンはありません。恒例のポールということになります。場所は第二リフト北側の斜面です。参加者全員のラップとりますのでコーチの皆様、コース作りなどご協力お願いします」
そうなのだ。体育会という以上、彼等は競技スキーなのだ。心地好い少し湿った香りに身を任せていた私はまた何やら胸騒ぎを覚え、不安な面持ちで綱川を見やった。
「スラロームのスタートは午前10時、初級クラスから順々に降ろしてください。誘導は部員担当表通りいきます。それからスタート前、コーチの皆様、模範演技を兼ねて前走宜しくお願いします。はい、タイムはちゃんと計ります」
ツートン達の「ハイハーイ」とか「ハイヨー」とかいう、ようやく俺達の出番だぜのような少し昂ぶった威勢のいい声に、私と綱川の「エー」と「ウソダロー」という悲痛なうめき声は、はかなくもかき消された。あの、テレビのオリンピックでしか見たことがない、あれだろうか? 全員の前で? コーチ一人づつ? 綱川はもう半べそをかきながら、それでもほんとに泣いてしまっては彼女の手前オトシマエがつかないと必死で耐えている姿が不憫でならない。いよいよ天は我々を見放したか。

 むしろ一人で来ていたら、何とかなったかも知れない。頭の中に沸きあがる数々の卑怯な手立ては、全て一人用であり、二人同時に遂行するにはあまりにも馬鹿馬鹿しく見え透いていた。いろいろと考えてはみるのだが、しかしここまで来たら仕方がない、やってみようとも思う。失敗するかも知れない。でも何とかそこそこ滑れるかも知れない。この何日かで我々だって確実に上達しているはずだ。失敗したってなんだ。転倒したってどうだっていうんだ。なにも皆の前でうんこしろって言ってるわけじゃないんだ。そうだ。そうなんだ。動転している私達はすっかりうんこに励まされ、きちんと事態を飲み込めないまま部屋へ戻っていった。
 翌朝、部員とコーチ達は早めに朝食を済ませるといつもより30分ほど早くゲレンデ に出た。新潟大の3人が、4メートルほどある青いポールを両手で抱えながら、まだ 動き始めたばかりのリフトに乗っていく。信州大の一人はトランシーバーを持って全 員の回転トライアルが行われる北側の斜面をゆっくりと板をずらしながら降りてくる 。それぞれがなにか極めて無駄のない論理的な行動をとっている中で、我々二人はた だ立ちすくむしか能がない。さりとて不用意に彼らに近づき、「じゃ、これお願い」 などとポールでも渡されたらそれをどこにどのようにお願いするのか何も知らないの だから仕方がない。入念にチェックされた雪面にどこまでもしなやかで艶やかなポー ルが一本一本丁寧に突き刺されていく。あのオリンピックで見るスラロームの 舞台が着々と出来上がっていく。彼らはこれからスポットライトを浴びて歌う華やか なステージ作りをしているつもりだろうが、私と綱川にはそれが巨大な墓石に見える 。私は、東女の部員に促されてスタート台になる雪面をほじりながら、「これはまさ に『自ら墓穴を掘る』という事だな」と独り言を言った。綱川は顔を上げ、「うまい 、座布団一枚」と言った。すでに彼の思考は止っていたようだった。      (第8話へ続く)





(第6話)

川は、一列に並んだ生徒の前で「あそこまで滑りましょう」という目標物をポールで示しているようだった。私は、おっ、綱川が滑る、と思い、少し緊張し目を凝らした。ところが、最初に滑り出したのは綱川ではなく生徒だった。そして次から次へと。綱川はというと、一番最後の生徒の後からソロリと滑り出す。その生徒の背中に隠れるようにして。
ウォー、考えよったなー。「滑るとこを見せない」という掟破りの技だ。しかし、果たして許されるのか、ああいうのは。
あっ、綱川の板が交差した。バランス崩した。ヤメロッ、そこで倒れると最も滑稽なツンノメリ転倒だぞ。お、両腕を回して耐えているー。耐えているー。おー、耐えたー。ヨカッター、・・・・・・・・けど哀しい。哀しすぎる。なぁ綱川、僕ら、なぜそうまでしてこの横手山にとどまらねばならないのだ? 自分より圧倒的に上手い生徒と称する輩の前でスキーのインストラクターなどと身分を詐称して恥をさらす。その代償は一体何なのだ。
「センセイッ、全員滑りましたけど」
ハッとして目線を戻すと生徒達は皆刺すような眼差しを私に向け、次のセリフを待っている。
「・・・・・・・・。えー、では、今度は、あそこの2本並んだ白樺の辺りまで大回りのターンで滑ってみてください。一人づつ、僕は最後につきます。はい、いいですよ、どうぞ」
私は自分自身の浅ましさを心の中で罵倒しながらも背後霊の如く最後の生徒の背中にはり付き、時折頭を出してその肩口から前方を確認しつつ滑り始めるのであった。

 散々な「レッスン」だった。その日1日で6回転んだ。その内の1回は板はずれ雪まみれの大転倒で方々に散乱した板や帽子やゴーグルを生徒達が拾い集めてくれた。みんなの優しさがかえって私を惨めにした。ふられ間際の女の気持のようだ。綱川も似たようなものだったらしい。極めてなだらかな林間コースを、さすがに彼が先頭で滑降中、不覚にも油断して転倒。止まろうかとする生徒達に這いつくばりながら、
「僕に気にせずどんどん行ってくださーい」
と叫んだそうである。これは恥ずかしい。戦争映画じゃないんだから。
宿舎の部屋で私と綱川はそんな話をしながら着替え終わると、投げ遣りな大きな溜息をつき、お互いのタバコに火を点けた。雪やけツートン達はまだ戻ってこない。テレビでも見るか。そう言えば、今日は千代の富士、北天佑因縁の対決だったかも知れない。もう私達はゴロリと横になり、とりあえず風呂までリラックスを決め込もうとしていた矢先、ドヤドヤとツートン達が帰ってきた。彼らは部屋に入るなり、「お、テレビ」とかなんとか言うといきなり私と綱川の前にケツを向けてしゃがみ込みチャンネルを替え始める。
「おー、柏原よしえ、柏原よしえ、ん、ん、紅茶のおいしい喫茶てーん、あ、タバコある? ん、ん、プハーーー」
傍若無人なのである。失礼なのである。でも、タバコを差し出したのは私であり、火をつけたのは綱川なのである。
私と綱川は、それから3日間、春まだ浅い信濃路の荘厳なる志賀高原で生き恥を晒し、下男のような抑圧に窒息しそうになりながら、それでも最終日前日の部員及びコーチミーティングまで持ち堪えた。
いよいよ明日で何もかも終わる。また、店に戻れば何も知らないみんなが「みっちゃん、アイスココアひとつ。大ジョッキでね」なんて、ばかなオーダーをしてくれるはずだ。何もなかったかのように。そう、もう後1日だけなんだ。

 しかし、苛酷な急流を傷つきながら逆のぼってきた哀れな稚魚達を待ち受けていたのは陰湿極まりない最後の大仕掛けであった。   (第7話へ続く)





(第5話)

「えー、それではまず、僕が滑ったところまで皆さん好きなように滑ってきて下さい。」
とにかく少しでも時間を稼ごう。模範演技なんて決してやってはいけない。「うまいんだかヘタなんだかなんだかわかんない滑り」でしばらく様子を見るのだ。あの生意気そうな男5人の力量を見定めてからでも遅くはない。人の欠点を指摘するだけならそんなに難しいことじゃないんだ。重心と後傾、この二つの言葉を繰り返し適当に使っていればなんだかそれらしくなるはずだ。
私は、セコく小刻みに板を動かし谷側へ向けると、ポールに力を入れ、体を前に押し出した。板は無情にも滑り出す。ああ、始まってしまった。キリーのスキージャケットを通して全員の視線が背中に突き刺さってくるのが分かる。しかしそうはいくか、絶対ターンするところは見せるものか。これは模範演技ではないんだ。あくまで事務的にあそこまで移動するだけなのだ。しかし、そんなことを考えているうちにすでに私の直滑降にはスピードが乗り切っていた。
「やばいっ」
ここからの急停止は難易度が高い。私はあられもなく取り乱し、思わずテールを思い切り開いた。ズズズズズーとぶざまな雪煙を立てながら板はしこたま流され、膝をカクカクと震わせながらようやく止まった。
ボーゲン止めだ。
「・・・・・。」
私は振り向くのが怖かった。ああ、こともあろうに。私はうつむいたまま、それでも「最初っからこのつもりだよ」の顔を必死で作り、ゆっくりと振り向くとポールを高く振り上げて合図した。
なんとか息を整え、立ち直ろうとする私は、私の合図で滑り始めた男5人を見て仰天し、さらに深く絶望の谷底へ突き落とされた。
 一足滑降だ。しかも5人、一糸乱れぬ見事なトレインで。
なんなんだ、こいつら。
初めっからオンナ目当てなのだ。レッスンなんか受ける気もなく、一番オンナのいそうな中級クラスを狙ってただナンパをしに来てるダニどもなのだ。私は自分自身の参加理由を棚に上げ、彼らを蔑み憎んだ。
奴等は、私の前で止まると、脇の下をポールで支えるようにして立ち、板を交互に前後させながら
「それでどうすんの、先生さんよ」
というニタニタ笑いで私を見た。涙を浮かべんばかりの私の視界の遠方に小さく綱川が見えた。    (第6話へ続く)






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