(第4話)
胃が少し上へ持ち上がり、体がフワッと宙に浮いたような気がした。私はうろたえた。なにか物事がよくない方へよくない方へと動いているのは確かなようだ。綱川を見ると、彼は背筋を伸ばしアゴを引いている。「困っている」のポーズだ。私はなにか言おうとしたが、東女の1年生部員は、用件を伝えるとサッサと戻って行ってしまった。
「綱川....」
「話が違うね。」
「中級クラスってのは俺達が習いたいクラスだろうが。習いたい奴が先生やってどうすんだよ。」
「上級じゃなくてよかったね。」
会話が全然かみ合わないまま、私たちは重たいスキー板を引きずり、生徒たちの列に近づいていった。なんだよ、ずいぶん男がいるじゃないかよ。
「じゃ、頑張ろうね、あとで昼飯の時ね。」綱川は結構明るい。
私が受け持ちの生徒たちの前に立つと彼らは話をやめ、私に注目した。そうか、まずは挨拶をしなければならないな。
「えー、おはようございます。梶谷です。これからしばらく一緒に滑りますので、宜しくお願いします。」
声はでかいが言うことは情けない。
「よろしくお願いしまーす。」ボクボクボクという手袋越しの拍手。
「じゃ、とりあえずリフトにでも乗りましょうか。ね?」
媚びてどうする。最初が肝心だぞ。たくましく、頼り甲斐のある人間像を演出するのだ。いずれ哀しくも、馬脚が白日のもとにさらけ出されようとも「でも、梶谷先生はいい人」という風評の援護を仰がねばならぬ。いや、しかし、「ヘタな先生」という歴然とした事実に対する非難を「いい人」という漠然とした内面的情緒的感情の波で押し流すことができるだろうか。それよりも、「金返せ」などという短絡的消費者運動的事態に発展しないという保証はあるのか。それにしても綱川にはいつもやられるなぁ。
そう言えば、ついこの間まで彼がつきあっていた恵泉女子短大の大坪さんの時もそうだった。彼女が軽音楽部でつくっていた「フェアレディース」というダサい名前のロックバンドの軽井沢合宿にもコーチとしてついていったんだ。その時も国立音大のにいちゃんがもう一人コーチで来てて辛い想いをしたんだ。打ち上げコンサートとかで「コーチもなにかやってください」とか頼まれて、ろくに楽器も弾けない俺達は、アカペラで「あずさ2号」を唄って、観客を席から転げ落としたんじゃないか。なんて、懲りないのだ。ああ、かつて白銀に照り返す雪山の心踊るリフトの上で、こんな冴えない想いのスキーヤーがいただろうか。私は白い溜息をつきながら顔を上げた。18分の18というリフトの鉄柱が近づいてきた。 (第5話へ続く)
(第3話)
関越自動車道を下りるとスキーバスは巨体をゆったりと左右に揺すりながら国道18号線に入る。少し広くなった路肩や小さなドライブインの駐車場には、仮眠をとる長距離トラックが並んでいる。もう間近に南アルプスを見渡せるはずの美しい信濃路だが、今はただ連なる車のヘッドライトが騒々しく闇を切り裂いていくだけだ。激しくライトアップされたホテルアテネが暗闇に浮かんでみえる。車内のヒーターは相当強く効かせているのだが、窓側の座席では車窓から染み出てくるような外の冷気とのせめぎあいで体温調節が難しくなかなか寝つけない。それでも碓氷峠に入る前には寝てしまおうとむりやり目を閉じた。
翌朝宿に着くと早速部屋が割り当てられた。私と綱川の部屋は12畳の和室でコーチ6人の相部屋だった。信州大と新潟大の体育会スキー部4人は、普段からスキー仲間らしく、すでに楽しげに盛り上がっていた。雪焼けでツートンになったその顔がキャリアと腕前をいやらしく誇示している。こんな化け物みたいな奴等にはあまり近づかないほうが身のためだと思い、部屋の隅っこで綱川と荷物整理をしていると、やがてその内の1人が話し掛けてきた。
「いつもどの辺を攻めてるんですか」
セメテルゥ?なんだセメテルっちゅうのは。戦争に来たんじゃないんだよ。
「えっと、サヤ」
背筋を伸ばしアゴを引き赤面しながら「狭山」と言いかけた綱川を遮って
「僕ら行くのは、斑尾とか栂池とかが多いです。あとは尾瀬とか苗場とか17号線沿いですね。」
「混むとこばっかりだね、どっかのスクールでイントラやってるの。」
スクールゥ? イントラァ? うー、もうやめてくれー
「いやー、僕ら初心者ですから。アハ、アハ」背筋を伸ばし、右手で後頭部を掻く真似をしながら綱川が言った。ピキッ、ピキピキと彼らとの空間に亀裂が入る音が聞こえたような気がした。もう、どうでもいい。どうせ俺達は場違いなんだ。ああ、早く帰りたい。それでも私と綱川はコーチとして来てしまったのだ。
陰欝な気持とは対称的に、志賀の空は恨めしいほど晴れわたり、ゲレンデには頬を刺激する清清しい空気と眩しいほどの活気が満ち満ちていた。東女の部員達はすでに行列ができ始めたリフトの傍らで、体育会らしくキビキビとツアー参加者の班分け作業を行っている。その中の新入部員らしい子が、私と綱川に気がつくと靴のバックルをガチャガチャいわせながらやってきて、
「宜しくお願いしまーす。あの班とあの班が先生達のクラスです。中級ということでご担当お願いします。」
テキパキとそういうと、一列に並んでこっちを見ている10人ほどの集団2列を指差した。
「えっ? 中級なの? でも僕ら初級のコーチって聞いてるけど。」
声がちょっと裏返った。
「初級は私達部員の方でやりますから。」
(第2話)
シティマジックは、せいぜい5、6坪ほどの店だったが、中央に古めかしいピンボールゲームがあったので、常連たちは何時間でもそれで遊んだ。何をオーダーするでもなく、ゲームの合間に当たり前のように勝手に冷蔵庫の中のコーラを飲み、だべって帰っていった。ごくたまに買い物帰りの主婦が「お茶でも、オホホ」などと誤って入り口の扉を開けようものなら一斉に振り返り、「あんだよ」という顔で睨むので中へは入ってこなかった。お陰で1日の水揚げが千円を切るなどということが度々あった。
予備校の行き帰りに立ち寄る常連の1人、綱川は、私の小学校からの同級生で、小学館の「めばえ」なんかの表紙に出てくる男の子のように、ほっぺたや唇がツルンツルンに光っている奴で、仲良しだった。綱川は割に女に振り回されるタイプで、頼まれるといやと言えない優しい性格がいつも私を巻き添えにした。
彼にはある時期、東女の体育会スキー部に富永さんと言う彼女がいたのだが、スキー部のツアーにコーチが足りないというので、ある年、彼がコーチを頼まれたことがあった。当時、彼も私もスキーの技量は同じくらいで、「すぐ板交差しちゃうパラレル」だった。まかり間違っても体育会スキー部のツアーのコーチなどという妖気ただよう話には近寄れないはずだった。
「断ったほうがいいよ」
「どうしてもって頼まれちゃったんだよ。断れないんだ今更、な、一緒にやろう」
「やだよ。できるわけないだろ。やりたかったら1人でやれよ、お前の彼女だろ」
「友達だろう、そういうこと言うなよ。」
「よく考えてみろ。俺達が人に指導なんかできるわけないだろう。」
「初級クラスなら大丈夫だよ。靴の履き方からだと思うよ。僕らでもズブの初心者にボーゲンくらいコーチできるだろ。それに初心者クラスは、結構マブいのが集まるんだ。僕の経験では。」
最後の言葉にグラッときてしまった。
新宿駅西口、安田生命ビル前、午後11時。凍てつく空気の中に最後の煙を大量に吐き出しながら、ブカブカのスノーブーツでタバコをもみ消すと、まだ薄ら寒いバスの中へ乗り込んだ。私と綱川は、東女体育会スキー部員の真ん中に席を取り、片っぽの鼻の穴からタバコの煙を吹き出し「気化した鼻水」などとくだらないギャグを飛ばしながら、一路、志賀高原横手山スキー場へ向かう。
あれっ?そう言えば、コーチってのは我々だけか?他のコーチというのはいないのか?
「他のコーチの人達は現地で合流することになってるの」と、富永さんが教えてくれる。一緒にいけばいいのに。なんかカッコつけてんじゃないの。
「信州大学と新潟大学の体育会スキー部の人達なのよ。」
綱川の首を絞めた。
(第1話)
昭和50年代前半、西荻南商店街の裏通りにシティマジックという喫茶店があった。
西荻の駅から徒歩10分、昼夜を問わず割と人通りの少ない住宅地松庵への入り口という立地で、7階建てモルタル造りのマンションの一階に嵌込まれた小さな間口の店だった。
純喫茶ではなく夜はパブになる。当時は珍しくなかったが、店の作りも少しアメリカ西海岸を意識したもので、コンサバティブな昔ながらの町並みにはそぐわず、少し唐突で浮いていた。最寄りの大学である東女や成蹊からも歩くには遠すぎたので、日に4、5人来る常連のほかは客もほとんどいない。その代わり、オーナーや店長が所属する軽音楽バンドのメンバーやその仲間達が、度々夜通しパーティーなど開き、身内で盛り上がっていた。
店長の落合さんは慶応の7年生で、オーナーの笹瀬さんは立教の8年生。当時、浪人生常連客の一人だった私には、彼らがなにかとてつもなく神聖な存在に思えたし、バンド仲間には杉真理や竹内マリヤがいて、いやがうえにも大学生活への憧憬の念を掻き立てられ、私はすっかり舞い上がっていた。
「これだ。これだ。これだ。これだ。・・・」 と、拳を握り小刻みな痙攣をしながら、目の前の暗い受験勉強のことも忘れ、来る日も来る日もいりびたり、その内そこでバイトも始め、勝手に「これだ、これだ」の仮想大学生活をスタートしていた。
コンパの最中、女の子がトイレに立つ度に、「うんこ、うんこ、うんこ」の大合唱になる慶応の学生達を見ては、「さすが慶応だなあ」と感動し、「一度でいいから百円玉を積み上げ、金のことを気にせず、心行くまでインベーダーゲームをやりたい、それが夢だ。」と、熱く語る立大生の言葉には、ホロリとさえさせられた。常連客のたまり場、みたいな雰囲気も私をゾクゾクさせたし、「バイトのみっちゃん」となれなれしく呼ばれるポジションも大いに気に入っていた。
JalanJalanへのお便りは、JUN へ