スチュワーデス訓練時代の想い出


第7回

by みよ

試験にもすべてパスし、3月からのトレーニングも無事6月28日に卒業式を迎え、いよいよ7月から本格的に飛び始めてます。
4ヶ月と大変長かったトレーニングですが、今思うとあっという間に終わってしまったって感じです。トレーニングはもちろんすべて英語で行われてました。はじめはマレーシアなまりの英語に本当に何を話しているのか分からなかったのですが、今はそんなマレーシア英語に慣れきってしまってます。 始めは戸惑ったマレーシア料理にもどっぷりはまりました。フライト始めると、かえってトレーニングセンターのカフェテリアのマレーシア料理がなつかしかったりします。(といってもおそらく懐かしがってるのは私ぐらいで、他の同期はあまり口にあってなかったようです。恐るべし私の適応能力)
うわさに聞いてた通りトレーニングセンターの中は、恐ろしくエアコンがききまくってて日本人みんなパシュミナ巻いて凍えてました。 中には寒すぎて風邪をひいてしまう人もたくさんいました。(当然ながら私は風邪などひかずとても健康体でしたが)
しかしマレーシア人はそのエアコンは心地よいみたいで、本当にこれにはびっくりでした。よくよくきいて見ると、日本人の平熱は36度ぐらいが常識ですよね?でも、マレーシア人は37度が平熱というんですよ。暑い国なので、体内温度が違うんですかね?しかしほんと月日の流れるのははやいですねぇ…マレーシアに来たのが3月。 その時はまだ福岡は肌寒く、コートを身にまとって家族が見送りにきてたのに、今は日本も夏真っ盛り、なんだか浦島太郎状態です。今はマレーシアより日本のほうが暑いくらいです。
さて、飛び始めると、実際お客様に会うわけですから、トレーニングでは習わない事が続出で、毎回のフライトが精一杯です。今は毎フライトが勉強の連続で、一体いつ慣れるんだろうと同期同士でよく話してます。でも、制服を着るとお客様の側からは私たちもれっきとしたスチュワーデスなので、「新人なんで。」という理由は理由にならないので、一日でも早く仕事に慣れるように努力をするのみです。がんばりますね。



第6回

by KEI

 今でこそ立派な訓練センターを持つMASですが、私の入社した頃は“えっ、ここが?!”というくらいお粗末なものでした。当時のMASは生めよ増やせよのスチュワーデス訓練生ラッシュで、新しい期が毎週のように誕生していて、その訓練センターもパンク状態。私達日本人4人を含む第183期は、訓練センター2と称されるほったて小屋で訓練を開始しました。空港の敷地内に建てられたほったて小屋は飛行機整備工場のすぐ近くにあり、訓練初日の昼休み、私達4人とマレーシア人の同期2人はまちがえて整備士専用の社員食堂に入りこんでしまいました。その光景といったら! ご飯はごみ用の大きなポリバケツからザーッとつがれ、あまり美しい色とはいえないチキンや魚のごった煮をばーんとのせられ。“ほれ食えっ”と言わんばかりの扱われ方もさることながら、ランチタイムの食堂は汗と油のつなぎ姿の整備士であふれ、皆お魚の骨をペッペッとテーブルの上に出しながら食べているので、ソースにまみれたチキンや魚の骨の山がテーブルのあちこちに! そして山にはハエの群れがブーン…。テレビで さえ見たことない真のアジアの姿を初めて目の当たりにした私達はしばしボー然としていましたが、(日本を出発する前に)日本支社の人事部長から“マレーシアではカルチャーショックも大きいだろうが、なるべく現地の人と合わせていくように”と言われていたので気をとりなおし“ここで残しちゃ、同期の2人にわるいよ”と根性で一皿平らげました。ところが同期の2人のお皿を見るとまったくの手つかず状態。お嬢様っぽい2人は、“私達、こんな所じゃちょっと食欲が…。あなた達よく食べられたわね。” …私達日本人の努力って一体何だったのぉー(涙、涙)?!その日以来訓練を終えるまでランチは毎日ターミナル2のA&Wハンバーガーで乗り切りました。訓練時代のいちばん鮮明な思い出です。



第5回

by さかまり

 南国情緒いっぱいの我が社の制服、サロンケバヤにはナチュラルメークは似合わない。インコのような色彩豊かなメークをしないと釣り合わない。そんなメイクを難なく仕上げられる我々には訓練で、ある授業を受けた背景がある。
 大手外資化粧品メーカー、ランコムよりメイクの指導が入り、「1日」という極めて短い時間であるが、このクラスは他の授業よりもある程度リラックスしてのぞめた、息抜き的存在であった。当日の内容は、個人の肌に合う色など、理論的講義を経て、実際にメイクをしてみようといった実践へとコマを進めた。そう、恐怖とも言えるあの時間を迎えたのだ。
 学生時代、私の通っていた大学の、学生の約8割は男子だった為かお化粧などほとんどせず、ましてやフルメークなど1度もなかった私。それがこの日は、それを通り越して宝塚歌劇団の一員かとも言えるメイクが最終的にたどり着くべきところ。なかなか思い切って手を動かせずビビっている私に「こうやるのですよ〜」とインストラクターは私の顔を創造し始めた。心の中は不安だったが、開き直った私はだんだんと仕上がっていくメイクを観察し、顔の右半分のみできあがったその時、残りは自分でやるように言われ、落胆。自分では恐ろしいことになったと、半べそをかいて周りの友人達に心の内を伝えるとなぜか皆、比較的マシな反応。残りの左半分の顔が、仕上がった右半分のようにできたら、すごくいい、とのこと。単純に私は、そうなのか、と遠くに望みの光を感じ、気合いを入れてあと半分頑張って挑戦するぞと、目を輝かせ、せっせと作業に励むことしばらく。左隣にいたマレー人のが、私の顔のメイクが気にいらんと言いだして驚き。彼女は自分のメイクも終わっていないのに、私の顔をいじり出したのである。
 「いーよー、自分でやるよう・・・。」
と弱気な声で言っても彼女はハリキリすぎて手に負えない状態。私はどーにでもなれと、目をギュッとつぶって、顔を突き出した。できたと言われ、目を開け、満足でいっぱいの彼女の表情を確かめてから鏡に目を移した。「えっ、これはもしかしてマジックミラー!?」とハイテンションなアイデアは無情にも私を見離し、現実を鏡の上で発見したのである。先ほどのインストラクターの見事なテクは破壊され、周囲の同情がその恐怖を示してくれた。義理堅い私は一言、彼女にThank youと伝え、彼女に気付かれないようにメイクを手で消して自ら修復作業に真剣に取り組んだ。しかし彼女は隣に居るわけで、当然すぐに見つかり、結局彼女ご自慢のテクに私の唇はトンがったままであった。
 ところがそんな私に勇気を与えてくれたのは、皆の仕上がりを見た時だった。制服ならまだしも、スーツ姿にあの化粧。宇宙人の会合とも取れる奇妙な空間。記念撮影に関して、カメラマンが意識を失わず、そしてカメラが壊れなかったことだけが救いであるのが事実。写真を現像してくれた店員の兄チャン、恐ろしいものをお願いしてしまってゴメンなさい。堂々と存在しているアルバムの1ページ、とびっきりの笑顔の裏には、皆で似た格好をすれば怖くない心理が間違いなくあった。



第4回

by NAO

 訓練中の様子を思い浮かべた時、まず最初に思いだすのが「カレーパフおじさん」です。なんで訓練とカレーパフおじさんが関係あるの?とお思いでしょう?! 訓練センターに毎朝どこからともなくやって来ては、カレーパフを売り歩くこのおじさんこそ、私の訓練中のオアシスだったのです。
今思えばたかがカレーパフなのですが、マレーシアに来て間もない私にはとても不思議な出来事だったのです。ちょっと考えてみてください。日本航空の訓練センターにパン屋さんが毎朝決まってカレーパンを売りにやって来る。そこにスチュワーデスが群がる様子を想像したらちょっと笑っちゃいますよね。
ところがここマレーシアでは、それが当たり前で、少しもおかしくないのです。そのうち私もマレーシア人スチュワーデスと混じって毎朝5〜10個と買っては授業の合間に食べていたのがとても懐かしいです。確か1つ20セント(約10円)だったかな? 安いでしょー。どおりであの頃はポチャポチャしてたわけだ! というわけで、私の訓練中の意外な思い出を紹介してみました。



第3回

by ユカ

 訓練中(約3か月間)、毎朝MASバンが、ピックアップしてくれたのですが、これがすごいの一言でした。
と言うのも8時半から始まる授業の1時間前がピックアップタイムで7時半には来るべきバンが、いつも来るのは8時頃で毎朝ヒヤヒヤしていましたが、ちゃんと授業に間に合っていました。さすがMAS Driverだ!!
 マレーシア人達が「MASバンが後ろから来たら道を譲る」気持が本当によくわかる。トラフィックジャムだってへっちゃら。路肩を走り、少しでも車と車の間にスペースがあれば入り込み、もうそれはそれは乗ってて悲鳴を上げるほどでした。その恐怖がだんだん快感になってきたのが1か月を過ぎたあたりから....。
 同期7人みんなバンの中でお化粧をし、マニキュアを塗り....。最初ははみ出したりしてた口紅もバッチリ! これって本当に恐いですねー。次回、車の中でするお化粧方法、教えてあげましょう。ではこの辺で。See you.



第2回

by いっちゃん

 うわぁ、どうしよう! これが訓練1日目の私の感想だった。
もう◯年も前のことなのであまり覚えていないが、とにかく不安になったことは確かだった。まず自己紹介からだが、みんな(日本人もマレーシア人も)英語をペラペラとしゃべるではないか! それに比べ私は、インドネシア留学から帰ったばかり。また入社面接もインドネシア語(インドネシア語とマレーシア語はほとんど同じ)で済ませてしまったので、高校までで学んだ英語はほとんどスッとんでいたのだ。なんてったって三人称S(例えば、She wantsのs)だってできない状態だった! またまたインドネシアの人々は、マレーシア人に比べ英語を喋る人がほとんどいない。私は、「マレーシアもどうせほとんどの人がBahasa(マレー語)をしゃべる」とたかをくくっていたのだ。
甘かった! これが訓練3日目くらいからの感想だ。まぁ、なんとか何を言っているのかくらいはわかるのだけど、自分が何かを言おうとするとBahasaしか出てこない。授業中、他の日本人を見ると「できるな」ってな感じでウムウムとうなずいている。「英語留学していたのはこの子とこの子だから、この人は日本から出たことないはずなのにどーして?すんごいや〜(汗)って青くなった。そこで休み時間勇気を振り絞り、留学してなかった子に聞いてみた。
「先生の言ってることわかる?」
「う〜ん、半分以上わかんない(汗)、どーしよー」
「えっ?けど、自己紹介なんかペラだったじゃん」
「あぁー、私デスの専門学校に行ってたから面接対策は、バッチリなのよ! はっきり言って英語なんて話せないよぉ」
私がほっとしたのは言うまでもない。それどころか(私はBahasaができるだけマシじゃ〜ん)などと 心のどこかで思ったのも確かに覚えている。そしてこう思ったのだ。
(こうやって毎日英語に接していればすぐにペラペラになるさっ) そして現在、完璧なる東南アジアなまりのBahasaチャンポン英語を身に付けた私が、でかい顔して働いている。



第1回

by YOU

 私がマレーシア航空に入社したのは、今から6年前。当時あまりテレビではKLやマレーシアについての番組がなく、「マレーシア イコール ジャングル」というイメージのままKLに来ました。
 成田を出発したとき、もう日本へはしばらく帰ってこれないと思い、悲しくて涙を流しながら離陸したのを覚えています。
 楽しみにしていた機内食が、マレーシア風のスパイシーな料理で「辛くて食べられな〜い」なんて言いながら、この先3か月間の訓練生活が不安になりました。特に、メインの付け合わせにオクラを辛く炒めたものが出ていたのにはビックリ。私がそれまで日本で食べていたオクラは、生のまま切って、かつをぶしとお醤油で和えただけのものだったので、いきなりカルチャーショックでした。が、「なにこれ、変なのー」と言っていたものが、今では大好物になってしまいました。(皆さんも機会があったら試してみてください。インド料理屋にあります。)
 そうこうしているうちに、KLに到着。私の胸は期待と不安で一杯でした。会社からの出迎えがあり、ホテルへチェックイン。ここまでは、順調だったのですが.....。
 次の日、8時30分に空港のオフィスへサインをしに行くように言われた私達は、8時30分からオフィスで待ちました。.......が、「担当者がまだ来ないのでTea Breakへ行っていいよー。10時30分に戻ってきてねー。」と言われ、仕方なくお茶をして、時間をつぶし、更に待っていると、「担当者がミーティング中なのでLunchへ行って1時30分に戻ってきてねー。」とのこと。イライラしながら待っていると「Tea Breakへ行って、3時30分に戻ってきてねー。」.........イライラと共に不安がつのってきて、それでももうそろそろだろうと思って待っていたら結局、「今日は無理。明日来てねー。」
もう私達は、みんな怒り爆発状態。日本では、考えられないことですよね。1日中待たされて、何もなく、じゃあ明日なんて。でも、ここマレーシアでは、よくある事なんです。何でもゆっくり「Never mind La〜」の国なんです。郷に入ったら郷に従え。そう割り切ってしまうと楽になりました。きっと、初日、オフィスで1日中待たされたのは、私達日本人をマレーシアの習慣に慣れさせる一番大事な訓練だったのかも知れませんね。だって、そのお陰で今では、「ちょっと待ってて」が、「またかぁ」と思うくらいで、あまりいらいらしなくなったんですもの.......。



に戻る