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私は非常に涙もろい。
友達んちのテレビで勝手に流れてたアニメ“美女と野獣”の最後のへんのキャンドルやカップにされていた召使いたちが、魔法がとけてうれしそうに元の姿に戻ってくシーン(今思い出しただけでもうう、涙腺が・・・)がたまたま目に入って“見てなかったくせにどーしてそこまで泣けるの?”と言われるくらいボロボロになってたり、ボーイング・トリプルセブン導入の際の訓練で見せられた‘B777が完成するまで’のビデオで、初のテストフライトを見届けていたボーイング社のプロジェクトスタッフ達が肩を抱き合って泣いているのを見て、気がつけば一緒になって泣いてたり(あんたは教室に座って見てるだけでしょ!)、とにかくいつでもどこでも何にでも感動して泣いてしまう。
TVゲームにさえ泣かされたことがある。RPGのファイナルファンタジーX。ゲームの中盤まで一緒に旅をしていたおじいちゃんが、孫のために身をはって死んでしまったのだ。戦いながら(操作しているのは自分)涙でかすんで画面が見えなかった。いったんパッドを置いて鼻をかみ、自分のふがいなさで殺してしまったのだと深く悔やんで、また初めからおじいちゃん強化のため経験値&レベルかせぎの旅に出なおしたのだが、どーもあのシーンで彼が死んでしまうのはストーリーに盛り込まれていて回避できないことを後で知った。それ以来いかなるRPGにも手をつけていない(ゲームに興味のない人には何のことだか全然わかんなかったでしょう。ごめんなさい)。
最初から悲しい物語とわかっているものは映画だろうが本だろうがことごとく避けている。話題の映画などで顛末がわからないものは必ずハッピーエンドであることを確かめてから観に行く(それじゃあ面白くなさそうだけど、いーの)。お涙頂戴ものなどもってのほか!“劇場版ドラえもん”にさえ号泣シーンを見出してしまう私なのだ、そんなもの見た日にゃー体中の水分全部持ってかれてしまう・・・。タダでさえ泣かされるなんてゆめゆめ思ってもないもの見て泣くパターンが多いのだ。 それで今日こそは泣かないだろうと高を括って毎回泣かされているのが、テレビ番組“知ってるつもり”。日曜に日本到着のフライトが何故か多い私はついついこの番組にひっかかる。今回は興味のない人物がテーマなので平気、と真剣に見るつもりもなくさわりを見ていると再現式の主人公の人生にいつのまにかのめり込み、番組後半になるとティッシュ片手に鼻チーンせずにはいられない。特に一番最後の関口氏のナレーションの一言!あれに弱い。そして感動のエンディングのあとCMが入って我にかえり、番組の思惑に見事はまり泣かされてしまった自分に、けっ。と思うのである。涙目で。
こんな私がもし、退社が決まってラストフライトを迎えることになったら・・・。想像してみただけでいつも泣けていたのだが、そう、ついについに本当に来てしまったのだラストフライトの日が。MASが大好きで、マレーシアも大好きで、だからこそ続けられたこの仕事とお別れする日。泣かずに最後の乗務&機内アナウンスができるのか?!KEIピーンチ!
・・・・・泣かなかった。“私事で大変恐縮ではございますが、本日アナウンス担当の私は、当便をもちまして最後の乗務となりました。”もう二度とサービスすることのないお客様にお別れが言いたくて、到着後のアナウンスの最後に私はそう続けた。“マレーシア航空での思い出は私にとりまして、かけがえのない素晴らしいものとなりました。(中略)それでは皆様、ごきげんよう、さようなら。”
客室からはお客様の心のこもった拍手、拍手・・・。あれ、涙が出てこない。なんでだろう。そしてゲートに到着後、お客様をお送りするためにドアに立つ。1人、2人、降機する方が口々に“あ、あなたですね?お疲れ様!”“長い間お疲れ様でした。”
ポーーーン!!シャンパンの栓でも抜くように私の涙‘栓’は外れ、その後はナイアガラの滝でファンデーションを流しながらのラストシーンと相なりました。ははは、やっぱりそうこなくっちゃ!
・・・FIN・・・
オヤジが大っキライ。もちろん父親のことでなければ、中高年の男性の総称でもない。オヤジではない中高年の男性も大勢いるから。私がオヤジと思わない人は、まず2グループに選別したのち、‘普通のおじさん’、‘ダンディーなおじ様’とそれぞれお呼びすることにしている。ではどういう人がここで言うところのオヤジと見なされるのか。ズバリ、“よこしまな考えを持った中高年の男性”。巷では平たくスケベオヤジと呼ばれますか、ハイ。
仕事柄、中高年の男性と接する機会は山ほどある。毎フライトといえる。そしてフライト10往復に1回の割合で(細かいなーキミも)、私はオヤジに遭遇してしまうのである。そんなオヤジ達にやすやすとつかまってしまうのもこれまた私なのだ。まずはどーでもいいような物を頻繁に頼まれ、そのうち御自慢話に付き合わされはじめたかと思うと、こうやって就職してちゃんと仕事をしてるのに“ダメだよそんな事じゃあ”などといわれのない説教まで受け・・・あげくの果てに仕事先の電話番号だけが書かれた名刺を渡されて“じゃ、君の連絡先は?”。 ここで過去に私がとった手は(以下、私VSオヤジ形式) 1.会社の番号をわたす VS “だって君、ここにいつもいるワケじゃないんでしょ?” 2.“こちらからご連絡します” VS “僕も用があってよくKLに行くから連絡がつきにくいんだよ” 3.“もうすぐ引っ越しますので” VS “それまでのでいいから教えて” いやー、オヤジはひるまない!なんせヤツら(既婚が前提)は失くして怖いものなど何もないんで、厚顔極まりない上恥もない。そこがオヤジのオヤジたる所以なんだろうけど。 困った事にエアラインにオヤジ対処法マニュアルはない(当たり前だ!)。以前料理の話で書いた通り、私は機転がきかないのだ。細部まで事細かに記された雛型がないと生きてゆけない。おまけに誰にでも嫌われたくない八方美人な性格も加担して、事態はさらに深刻化! 名刺をいただいておきながら何もお渡ししないのも失礼な気もするし、かといってとことんしつこいオヤジに自宅の電話番号を教えるのは自滅行為・貴重なプライベートの時間を台無しにするようなもの・・・。サービス中ってなこともあって、できるだけスマートにやんわりお断りするのがプロのスチュワーデスってものでは?なんて、ヘンなところで職人ぶってみたくなる。 他のスチュワーデスの皆さんは一体どうしてるんだろう?やはり洗練された会話術を操られているのだろううか?ちなみにマレーシア人のクルーに聞いてみると8割は“引っ越したばかりで電話がないって言うわ”。でも、ちょっとウソっぽーい!携帯電話までこんなに普及しているこのご時世に、乗務員ん家に電話がないなんて普通の日本人は信じない。欠員の代替要員呼出(スタンバイ)や、フライト欠航の際の連絡がとれないわけないじゃん。と、オヤジでなくとも思うはず。うーん、この問題、私のスチュワーデス生活の中で最も重要な課題なの(平和ねー)。 OLやってる友達には“やさしくするからつけ上がるんだよ。”と言われたけど、相手がお客様となるとムゲにもできない。平等におもてなししているつもりなのに、オヤジ様(オヤジのお客様)は“脈あり”と取ってしまわれる。そんな日はいつもギャレーに戻って呟く(これぞ私の原点なのね)。 “あ〜あ、なんでオヤジってさー、ひとまわりもふたまわりも歳の離れた自分と若いコがお似合いって思える頭の構造してるんだろ?!”それを聞いた友達、すかさず“あんたSMAPの香取くんが彼だったらうれしいでしょ?”“うんっっ!!”あ。。。そっかぁー、やっぱ若くて美しい方がいいに決まってるわなぁ。かく言う私もいつも“将来息子の家庭教師(当然、大学生)に手を出すタイプ”と言われているのでした。失礼!
ってなワケなんでオヤジの皆様、あなたが今狙ってる若〜い彼女はもっと若いコが好きに違いありません。と、ここで呼びかけてみたところでオヤジはこんな健全なサイトなんて見てないのだ。仮に見たとしても厚顔なオヤジは誰もが揃いに揃って、“オレのことじゃないな”と思っちゃうのだった。
ホントにあ〜〜あ。
(第10回)
長風呂大好き。湯船にゆたーっと浸かっている時こそ、至福のひとときである。フライト終えてステイ先のホテルで浴槽に湯をはり、ヨーグルトだのアイスコーヒーだのアヒルだの(?)を持ち込んでえんえんと浸かってるのが私の密かな楽しみである。温泉ももちろん好きだけど、今ハマっているのが‘銭湯’。この間実家で母が通い始めたのを見、“家にお風呂があるのになんでー”と不思議に思ったのだが、ためしに一回ついていってみるとこれがまあ、何ともいいのだ。家からほんの目と鼻の先にあるのに、入るとそこは異空間。まるで遠くの温泉にやって来たような感覚。しかも結構知った顔が多いので、近所のおばちゃん達とみんなで遠出気分。世間話やら嫁の愚痴やらが飛び交い、ははーんどうやらここは母も含めたおばちゃん達のストレス発散の場であったのだ。でも、披露する愚痴のない私までハマっちゃうのは何故?
今では実家に帰るたび父に“家にちゃんと風呂があるのに…”という顔をされつつ母子で銭湯に通っている。
そこで<!>と思いつき、そういえば関西ステイの時ホテルの近くに銭湯があった!ということでさっそく次の関空フライトで行ってみることにした。フライトバッグにしっかり戦闘服ならぬ“銭湯服”をつめ、仮に万が一同じことを考えてる後輩がいると(そんな物好きいないっつの)体つきがたいそう貧弱なのがバレてしまうので、“今回のステイ、私は銭湯に行ってみようと思ってるの(=同じことするなよ)”と予防線を張り、いざ出陣!(とは言うものの、いろんなエアラインのクルーがステイしているこのホテル、洗面器かかえてスリッパでというわけにもいかずほんの少し遠慮がちな銭湯体勢なんだけど。)さて、関西のおばちゃん達はどんな話をしてるのだろうとわくわくしながら入る。…あれっ、ガランガランに空いている。その日は土曜の夜。次の日休みのお父さん達と家族で団らんでもしてるのか、ま、それならそれで平和で良いではないか。とわけのわからんことを思いながら入っていると、おばちゃんが一人。続いて銭湯にはめずらしく若い20代前半のコ。別々の場所を陣取り(私のとこがいつもの場所だったらごめんね)体を洗いはじめた。おばちゃんはいいとして、こんな時間に一人でくる若いコはめったにいない。たちまち好奇心にかられる。こんな住宅地で銭湯、あやしいあやしい。さてはそこのOO病院の看護婦さんか、いやもしやこのしなやかな筋肉のつき方はOOけいさつの婦警さんかも?! そういえば顔つきもしまって見える…おー いかんいかん、あんまり見てると変に思われる。などとアゴまで湯に浸かって観察する。すでに頭の中ではポワワワーン と効果音付きで看護婦さんや婦警さんが脱衣所でウィンクしながら制服を脱いでる姿が回っている(いまどきHビデオだってないよなあ、こんなシーン。なんてオヤジな私)。
と、おもむろにさっきのおばちゃんがそのコの背中を洗ってやりはじめ、“OOちゃん,9時までにでるからね。” …なぁーんだ、母子だったのかー。そういえば私も銭湯で母親と話しなんてしないもんなあ。この世の中、不可解なことなんてなにもないんだよなー。と、すぐ近くのホテルの名前入りタオルで体を拭きつつ、濡れ髪ですごすごとホテルのロビーを通って部屋へと戻ったのであった。風呂屋にとってもホテルにとっても、おまえの行動のほうがよっぽど不可解じゃ。
(第9回)
猫を飼っている。名前はミーア。去年日本の知人宅で生まれたのを譲り受け、はるばるマレーシアまで連れて来た雑種猫。猫にしてみりゃ迷惑な話だ。代弁をするなら、“マレーシアで飼いたきゃマレーシアで見つけろ”ってなもんだろう。周りの人にも、日本から連れて来るための諸経費で血統書付きの猫が買えたのに、とさんざん言われた。ペットショップに行かずとも、雑種猫ならそのへんの屋台にうようよしている。目を伏せたくなるような餓死寸前の仔猫がいたりするのだ。こんなひもじい思いをするくらいなら是非とも人に飼われたいと思っている猫だっているだろう。でも、猫を飼うには“縁と運とタイミング(これはスチュワーデス受験と結婚に関しても同じことが言えます)”というものがあるんで仕方ない。たまたま私の、猫を飼ってもいいかもなーという気持ちに答えるようにミーアの母親が5匹も産み、母猫に住みつかれていた知人が貰い手に困ったという前述の運命のトライアングルが見事はまり、ミーアはマレーシアまで来なければいけない破目になったのだ。
ミーアが来て私のKL生活は180度変わった。まず外出をほとんどしなくなった。女一人暮らし、家庭のぬくもりを猫に求めるようになってはもうおわりか?!
という危機感を覚えなくもない。ああ、でもフライトから疲れて帰ってきた時に喜んで出迎えてくれる猫がいるってのは本当にいい。何より次のフライトに行く気力が湧いてくる。頑張って仕事してミーアのためにおもちゃやおいしーものをいっぱい買ってやろう!っていう、自分一人のためでなく守るべき者の為に働く親心にも似た責任感の疑似体験ができるのだ。そんなワケなんで、私のフライトバッグの中はいつも猫のエサとトイレ砂でいっぱい。海外に行くと必ずペットショップをのぞきミーアのおみやげをさがす。フライトの間さみしい思いをさせてると思うと、猫のおもちゃ買いもエスカレートしてくる。ステイ先で一緒に買い物に出るマレーシア人クルー達に“CRAZY!!”と言われながら、今日もでれでれ買い物カゴを猫のものでいっぱいにするのであった。文字通りの猫かわいがりだ。
ところで“三つ子の魂百まで”ということわざがあるが、それは猫にも言えるようである。母猫から教わったことは、確実に仔猫の習慣になるらしい。ミーアの母猫は知人が根負けして飼い始めた程愛嬌のあるのら猫で、しかもその時ちゃっかり妊娠していてミーア達を産んだのだ。だからミーア達にもきっと“愛嬌さえあれば百難だって隠すのよ”と教えたに違いない。ミーアを引き取りに行ってお目にかかった、人の顔を見ては気を遣う母猫同様、ミーアもたいそう人に合わせる心根の優しい猫だ。フツー猫というのはとても人見知りな動物なのだが、ミーアは初対面の誰にでもとてもLOVELYな対応をしてくれる。おかげで当初困っていたフライト中のミーアの世話役を買って出るスチュワーデス仲間があっという間に増え、今では淋しい思いをさせずにフライトに行けるようになった。そして預けてる皆も口々に“ミーアがいると心が和む”と言ってくれる。最近巷ではアニ
マルセラピーなどという言葉が流行っているが、飼い主の欲目で言わせてもらうと、ミーアは‘国際A級セラピスト’くらいの資格を持っていると思う。
行け行けミーア、今日も仕事に恋に疲れたスチュワーデスを癒すのだ!!
(第8回)
“マレーシアにXX年も住んでて、車持ってないの?”
とよく聞かれる。
ぶるるるるっ! 車なんてとぉんでもない、私はタクシーで充分 !!
確かにマレーシアで車がないと不便ではある。が、マレーシアで車に乗ると寿命が確実に10年は縮むと思う。タクシーに乗ってるだけでももう数年は縮ん出る。私はこのXX年タクシーに乗りつけてて、周りのマレーシア人の運転というものをよーく拝見させていただきました!
その結果マレーシアで車は持たないという結論に達したのだ。
皆さんもKLの街に行く機会があったら是非とも観察していただきたい。道路の縁石やガードレール、駐車場の柱...街じゅうの角という角がことごとく破壊されていることを。そして走っている車、特にプロトン(マレーシアのメーカー)WIRAクラス以下の車の半数以上が、バンパーやボディーに何かしらの傷やへこみを持っていることを。
時には4WD車に追突されたのね、と一目でわかる程見事な2本線をつけた車(私は最初その車のオリジナルデザインかと思ったくらい均等なへこみでした)が平気で走ってたりする。ではWIRAクラスを超える車は安心かというととんでもなくて、これら高級車のユーザーは‘お金がある’ので傷がついてもすぐにバンパー取り替えるなりできるわけで...ということは!
街じゅうの全車がべコべコのボコボコ状態なのだ !!
自分がどんなにちゃんと運転しててもぶつかってこられる可能性のほうが高い。いやいやそれどころかこれらの車体の傷はただ駐車してるだけでもついちゃうかもしれないという恐ろしくヘタッピーだらけの国。ただでさえ修理をしないまま走ってる車が多いのに、人の車の修理代なんて出ないでしょう
?!
それに加えて多民族国家のマレーシア。おっとりしすぎるマレー人、負けるのが嫌いな中国人、とことんマイペースなインド人etc...車の運転にも多少の民族性が表われてたりして、日本人のようにマナーとかルールなんていってるとストレスで体に悪いだけでなく、一生目的地にだってたどり着けないんだから。そんな中にひとりで立ち向かえる程タフな私ではない。
え?そういうアナタの運転はどーなのよ、ってですか?こうみえても(?)KEIは17才で中型二輪、18才で普通免許(両者とも修検&卒検一発合格よん)を取り、スチュワーデスになるまでYAMAHAの400ccバイクとハチロクトレノ(注:通称走り屋といわれる、今となってはちょっと若かったわね私...という車ですね)を乗り回してたモト&オート大好き人間。その私がマレーシアじゃ何も乗らないといっているのだ、どんだけ怖がってるかおわかりいただけるだろうか。
まあ私達スチュワーデスは月の半分もKLにいないので、高いお金でフツーの車(マレーシアではとにかく車の値段が高い!)買ってももったいないってのもあるんだけどね。性格上、“バンパーに傷つけたままいたくない!”なんて言ってると毎月のお給料は車の修理代だけでなくなっちゃう。経済的に余裕があるか、ベコベコのままでも平気でいられるかでないと車なんて持てない。
もちろん、マレーシアに駐在されてる方は別ですよ。車がないとお仕事にならないですものね。でもマレーシアでの運転に慣れすぎて、日本に帰ったときについ強引な割り込みをしてしまい反省しちゃった人、結構いるんじゃないかなあ?
(第7回)
今年の冬は、年明け早々から大流行のインフルエンザにかかってしまった。流行りものにはとことん弱い私なのであった。そんな問題じゃないか。風邪自体はたいしたことなくて辛いとも感じなかったのだが、声が出なくなってしまった!
これは一大事!
仕事柄声が命なのはもちろんなんだけど、それより何より私は大のおしゃべり好きなのだ。自分の周りで起こる万事万象を常に誰かに話してないと気の済まない私にとって、声が出ないなんて、そりゃあもう拷問だ。生き地獄だ。それで何とか言いたいこと伝えなきゃ、と強引に声を出そうとするのだけど、ピーとかピョロローという音にしかなんない。でも5分と黙ってらんない!
また口を開いてはピュルー...。それを繰り返していて、BFに、R2−D2(スターウォーズのロボット君です)と命名されてしまった。おまけに自分はすっかりヒーローのルークになりきり、“R2−D2、僕のGFはどこに行っちゃったんだろう?”と意地悪されて“ピーピー(自分ばっかりズルーイ)!”と文句を言うのだが、くやしいことに怒ると余計に音のトーンが上がり、R2−D2みたいになってしまうのだった。
そうこうしているうちに数日のオフも終わり、フライトの日がやってきた。声はこんな調子だが体はとっても元気なのだ、もて余してても仕方ない。私としてはスケジュール通りフライトをこなしたいし...さてどんなもんだろう?
ここで日本の常識だと、“声の出ないスチュワーデスは仕事に来ちゃいかん!”でしょう?
ところが何でもありのマレーシア、そこのフラッグキャリアMAS。とにかく聞いてみるまでわからない。それになるべくならフライトに欠員を出したくないオペレーションセンター職員の気持ちも考慮して、一応おうかがいのTELを入れる。電話を受けた職員の人もびっくり。それでもさすが、のんびりしてて“あらま、カレーでも食べ過ぎちゃったの?まぁフライトしてもいいかどうかは、パーサーによって考え方も違うだろうから、とりあえずブリーフィング(出発前のミーティング)に出席してパーサー本人に訊ねてみたら?”という答えが返ってきた。
早速制服のサロンケバヤを着てオペレーションセンターへ。その日のフライトのパーサーは割腹のいいマレー人。見つけるなりおっかなびっくり訊ねてみた。“ぁの、ギャレー担当ピャッたら何とかピきるピョロリー...”。とたんにガハハと笑われて、“ところどころ出てるみたいだからOKらー、Let's
Go”。やっぱりねー。行けるのよ、マレーシア航空は(この調子だと前歯二本欠けてたってGO!って感じでちょっと不安)。しかも裏方(ギャレー担当)で行ったつもりのフライトは、フタを開ければ何と花形のキャビン担当!‘親方’の一声でそうなったものは仕方ないから、機内に乗り込み、も一度念押し。自分とキャビンを指さして“ピーピョー(本っ当にキャビンにいていいの)?!”“なぁに、しゃべらずに笑ってればいいって”。
.....そんなもんじゃないでしょう。
しゃべんないスチュワーデスなんて前代未聞。立ってるだけでもお客様は話しかけてこられるのだ、にこやかに答えないわけにはいかない。“ぁれっ?こっ声が...ゴホッゴホッ!”とわざとらしくつい今しがたまでは平気だったフリをして(そりゃ、わかってて接客する程愚かなことはないのだから!)悪戦苦闘の意思表示フライト。“え?この人一体ナニ人?”と何度もまじまじ顔と名札を見られたり、のど飴を持ってったお客様に“スチュワーデスさんが食べたほうがいいよ、半分あげるから。”と逆に心配されたりしながらなんとか無事に(って言っていいのか)そのフライトは終えたものの...。やっぱりいくら“タァパラー(詳しくはいっちゃんのマレー語講座を参照してね)”のマレーシアとはいえ、会社の面目のためにも、こういう時には行かないほうがよかった、と反省。
そんな状態になって初めて気付いたのだけど、普段のフライトでは自分でも知らない間に何とまぁ声を発しながら働いていることだろう。お客様に無言でニコニコおしぼりを突き出す(差し出してるつもりでも何も言わないとそういうふうになってしまう)不自然さをぐっとこらえながら、声が出ることのありがたさをひしひしと感じたのだった。
その後少しずつ声が戻ってきた。なつかしの自分の声。でも何日かしゃべんないうちに、耳から聞こえてくる自分の声というものを忘れてしまい、あれぇ、何だか声の美しさのレベルが通常より2段階くらい低いような...などと元の声の誇大評価まではじめちゃって。ま、いいや、声は出るようになったのだ、また好きなだけおしゃべりができるんだから。
というワケで屈辱の日々を過ごして、欲求不満を回路いっぱいに蓄積していたR2−D2は、“わたくしの麗しい声が聞けずにさぞかしさみしかったことでしょう。思う存分賞賛&賛美するがよくってよ、ホホホホホ!!”と、普段の数倍もごーまんでタカビーなレイア姫(スターウォーズのことをまだ根に持ってる)となって復活したのだった。
めでたし、めでたし。