| 先日久しぶりにブキビンタンに行った。朝からローヤットプラザで髪を切り、その後友人とリージェントホテルで飲茶をしたのだ。
ローヤットプラザからリージェントホテルまでとことこ歩いたのだが、すごく不思議な信号に出会ってしまった。ブキビンタンの通りのマクドナルドからリージェントホテル側に渡る所にある歩行者信号なのだが、ずっと赤のままだ。
あれってなんだ? よく分からない。歩行者信号もあるし、歩行者用の横断歩道まであるのに・・・
誰かこの信号が青になったのを見たことがあるのだろうか???
あきらめてメイバンク側に渡り始めたどこからどう見ても観光客の白人さん達に関心ながら、在馬5年目の私は他のマレーシア人と共に走っている車をぬって向こう岸に渡ったのは言うまでもないのだが。
しかし5年目にして気づいたこの新事実。さすがはマレーシア、なんとも奥が深い。明日は何を発見するのだろうか。
2005年3月 by みよ
3月20日午前10時52分、福岡で地震があった。
福岡出身の私がどこにいたかというと・・・・なんと北九州。偶然にも福岡にフライトで来ていて、前日の19日大学のサークルOB会に参加していた。久しぶりに会う友人たちと話が弾みまくり、朝の五時までみんなで飲んでいた。北九州のホテルで10時に飛び起き、シャワーを浴びて、化粧も終わり、さて洋服を着替えるか、と思ったその瞬間!!!部屋がモコモコと揺れだした。一瞬自分がまだ酔っ払ってるのかと思った(そういう人は多かったはず!)が、洒落にならないくらいの横揺れが始まり、地震だ!と思った瞬間ベッドの上に飛び乗ってた。揺れている間は本当に阪神大震災や新潟の地震が頭の中でオーバーラップし、この建物が倒れてしまうんではないかと本当に怖かった。でも意外にパジャマ姿では部屋の外には出れない!と思ったりもしてて冷静だったりもした。
揺れがおさまりテレビをつけてみると、なんと福岡市ではもっと揺れているではないか!!!両親が心配になって、すぐに携帯から電話をかけようとするが、まったくかからなかったので、部屋の電話を使おうとするが、自分自身が混乱してて外線のかけ方がいまいちわからない。そこでフロントに「外線が通じないのだが。」と電話をすると、「今かかりにくくなっているみたいですねー。ちなみにチェックアウトは11時なのでよろしくおねがいしますねー。」はぁ?????非常時じゃないの〜?????いいじゃん5分くらいと思わず言ってしまいそうになった。まぁなんとか両親とはホテルのロビーの公衆電話からつながり、無事を確認できてほっとしたのだが。
で、大変だったのはそれからだった。福岡へ帰る高速バスもJRも何もかもがストップしてて、一体私は福岡へ帰れるのだろうか・・・ということになってしまってた。さて、今夜は福岡で友達と食事の約束をしているのだが・・・なんて思ってたところ、やっと三時半ごろに復活した高速バスに乗ることができた。補助席まで埋まる超満席だったのだがとりあえずはラッキー、これで約束にも間に合うぞ!なーんて思ってたら、大渋滞。通常なら一時間で行くところを三時間半かかった。
しかも両親や妹に携帯から電話をかけようと必死になっていたため、バスの中で携帯の充電が切れてしまった。さて困った。友人と連絡がつかない。でもしばらくして電源を入れてみると入れれた為、急いでメールを作成して送ろうとしたその瞬間、電源が切れてしまった・・・・その時メールアドレスだけは記憶することができた。ずうずうしいのは承知で隣に座っていた女性に携帯を貸してくださいとお願いしてみると、快く貸してくれたのだ。本当に助かった。ちなみに彼女はなんとあるライブに行くため、はるばる金沢から福岡に来てたのだ。小倉で新幹線を降ろされてバスに乗り換えたのこと。無事にライブは見れたのだろうか・・・あのときの親切は忘れません!ありがとうございました。
やっとのことで福岡に到着して、友人と合流することができ、さてご飯を食べに行こうとしたのだが、どこも臨時休業で(そりゃそうだ)、唯一見つけた居酒屋チェーンに入った。この友人もかなり久しぶりに会ったということで話に花が咲いたのだが、ご飯を食べている間も数回余震があり、怖い思いもした。
後日心配で電話してきた他の友人にこの話をすると、「バカ!!!!!!そんな非常時に出かけるなんてどうかしてる!!!!!無事だったからよかったものの、もし大きな余震があって、そのチェーン店が崩れてみよが死んでしまったなんてことになったら両親は悔やんでも悔やみ切れないぞ!!!!!少しは考えて行動しなさい!」とまぁこっぴどくしかられてしまった・・・今回ばかりは軽率だったと反省した私であった。
2005年2月 by みよ
ゴルフ…始める前は、どうしてあんなに多くの人が愛してやまないスポーツなのか全く解らなかった。せっかくマレーシアにいるんだしゴルフやっておこうかな、という軽い気持ちで昨年の三月から打ちっぱなしに行き始めた。
が、やはりなんとも面白くない。球はまともに飛ばないし。友人に連れて行かれるがままになんとなく打ちっぱなしにいっていた。
そして8月にコースデビュー!!…はまった。緑たくさんで気持ちいいし、かなりストイックなスポーツだし、朝早起きするから一日が長いし。はまったらはまりまくってて、KLでの休みはほとんどゴルフに明け暮れてた。
ある時…やってしまったのだ…友人と二人でコースに出てたのだが、な、なんとその人の頭にボールをぶつけてしまったのだ!!!いやーこれにはさすがに私も自分に呆れてしまった。ひたすら謝り倒した。(当然だ)その人は帽子をかぶってたにもかかわらず後頭部には半径2センチ程の大きな傷ができてて血も出てた。その人は「20年間ゴルフしてるけど、人の頭にぶつけたのを見たのも、ましてやぶつけられたのも初めてだ!!!」と少し不機嫌に。
何とか謝りながら最後までまわったのだが、一日二人ともブルーだった…
後日聞いたところ、オフィスでふと頭を触ると、かさぶたがまるでフケみたいにごそっと取れたそうな。いやーフケみたいに頭にはりついてなくてよかったよかった。
すったもんだもあるが、相変わらずゴルフを楽しんでる。今年はきちんとレッスンを受けて100を切ってみたい!!
2005年1月 by みよ
いやー大変長らくお休みさせていただいてました・・・今年からまたエッセイ再開します。どうぞよろしくお願いします。
去年を振り返って・・・・世界では本当にいろいろありましたが、私個人の大きな出来事としてはやはり引越しとゴルフを始めたことですね。
引越し。いやー本当に大変でした。2月にいろいろ物件を回ってやっと見つけた条件のいいお部屋。感じのよいオーナーと直接交渉して4月から入居することに決定。引越しまで時間もあることだし安心しきってました。が!何度電話かけても、会っても、契約書すら作ってくれない状態・・部屋はソファーもなければベッドもカーテンも何もないのに買う素振りもみせない。とうとう4月からの入居は間に合いませんでした。前の家が次の入居者が決まってなかったので1ヶ月延長して住み事ができたのでよかったのですが。が・・・・やはり4月も10日を過ぎても本当に何もしてくれなくて、プチッと私の中で音がし(いやーやっちゃいましたね)「もーあんたの所には住まーん!!!」と言い放ったのはいいが、引越しまで2週間をきってしまってて内心あせりまくりでした。
気を取り直してオフの日の物件あさりが始まりましたが、やはり気に入る部屋がなかなかない!いよいよあせってたところ、あるコンドミニアムでたまたま広告を見つけオーナーに電話したところ10分で不動産が来てくれるとの事。「まっこれも期待せずに見てみるかー、しかしもし見つからなかったら同期のところにとりあえずお世話になるしかないなー」なんて考えたら、不動産の女性が到着。そしてその一時間後には彼女に車で銀行まで連れて行ってもらってデポジットを払っている自分がいました。
いやー、今考えるとこの部屋に出会うべくして出会ったのですねぇーーー。まさに運命の出会いでした。あれから9ヶ月が過ぎましたが、何不自由なくとても快適に暮らしています。今考えても本当にラッキーだったなぁって思います。
さて次回はゴルフの話でもしましょうか。それでは2005年もジャランジャランをよろしくお願いします。
追伸 KLにお住まいの皆様、最近KLめちゃめちゃ暑くないですか??ぶー。
2003年11月 by みよ
今月、ハリラヤを迎えた。いよいよ今年もお祭りムードになってしまった。というのもこの時期になると、ハリラヤ・クリスマス・お正月・チャイニーズニューイヤーと続き、人々の心が浮かれまくっている。まぁ、私も例外に漏れることなく浮かれまくっているが。(季節を問わずという説もある)
ハリラヤの一週間前ともなると、人々がハリラヤに向けいろいろ買い物をしだすのだ。さらにこの時期に合わせてショッピングモールもセールを開催し、街はごったがえす。この時の購買力は目を見張るものがある。チャイニーズニューイヤーの時もそうなのだが、とにかく買う買う。一体そんなに何を買っているのだろうか・・・「ちょっといつも通りメガモール(近所のモール)に食料品を買いに行こう」なんて週末うっかり出たりしちゃうと、長―い長―い帰りのタクシーを待つ列の中で大後悔することになる。ちなみに私はというと、ハリラヤに向けての買い物なんてする必要ないのに、「セール」の文字に魅了され、ノックアウトされ、買い物に大忙しだった・・・
そしてハリラヤを迎えた。多くの人は地元に帰ってしまいKLの街は心なし少し寂しくなっていた。そしてまんまと私の財布も寂しくなっていた。日本はこれからセールっていうのに!!!
。
2003年10月 by みよ
今回は機内で私が飲んでいる飲み物について書いてみようと思う。機内には色々な飲み物が搭載されている。コーラ、7UP、ジンジャーエールやいろんなフルーツジュースがある。ビジネスクラスにあるピンクグァバジュースやマンゴージュースはお客様にも人気がある。温かい飲み物を挙げると、コーヒー、紅茶、日本茶、ジャスミン茶などがあり、機内では私はもっぱら日本茶をよく飲んでいる。
が、朝の便だと話が違う。機内に乗ってまず飲んでしまう飲み物というと・・・それは"マイロ"。日本語で言うとミロ。マレーシア人はマイロが大好きなのだ。日本にいた時には甘い飲み物は一切飲まず、コーヒー紅茶もすべてブラックしか飲んでなかった私にマイロはありえなかった。飛び始めの頃は機内で現地クルーが「みよ、マイロいる?」なんて聞かれても「私はいいわ。ありがとう」なんてクールに言ってたっけ。今じゃ自ら作ってる始末。あー環境って怖いわ。
で、先日ペナン島まで同期2人と一泊旅行に行った時の事、機内の飲み物サービスでクルーの人達が配っていたのがなんとマイロ!これには3人とも驚き、そして感動し、思わず手にしてしまった。今まで何度か国内線に乗った事があったのだが、通常はオレンジジュースがサービスされていた。
機内で配る飲み物がマイロ・・・・うーんこれこそマレーシア航空ってかんじだ。
2003年8月 by みよ
大学時代の友人2人が揃ってマレーシアに遊びに来た。仲はトコトンいい腐れ縁2人なのだが、揃うと厄介だ。初日は私の家に泊った。そこで何がしたいか話し合った。覚悟はしていたものの、中3日という短期間にもかかわらず、「あれがしたい、ここに行きたい、それも食べたい」わがまま言い放題大魔王になっていた。
という事でとりあえず姫2人をパンコールラウトにお連れした。(大魔王はあんまりという事で姫と呼ぶ事にする)
姫2人はとてもご満悦な様子だった。プールに入ったり、本を読んだり、シーカヤックをやってみたり2人で子供のようにはしゃいでる一方で、私はというとプールサイドでじっと本を読んでた。すると一言「みよ、あんたトドみたいに動かないのね。」
レストランもお気に召したご様子の姫達。私の友達で苦手な人が比較的多いマレー料理(私は大好きなのだが)もペロリとたいらげてた。もちろん3人の好きなお酒もたくさん飲みつつ、のんびりとした二夜を過ごした。
次の夜はクアラルンプールのマンダリンに泊った。ウェルカムフルーツがたくさんあり、ちょっとした幸せだった。お部屋で少しくつろいだ後、さて姫たちの本領発揮。一路KLCCへと向かった。姫たちは買い物の為の準備体操をマンダリンの部屋でしてた割には(ちょっと大袈裟に書いちゃいました!)意外に財布の紐は固かったみたいだ。それに一番驚いてたのは私ではなく本人自身だった。
そして最終日。いろいろ話し合った結果、時間がないということでKLCCでそれぞれ各自が自由行動する事にした。お昼に飲茶を一緒に食べた後、約3時間後にKLCCのドームというカフェで待ち合わせをした。私はそのカフェで本を読んで姫達を待ってた。姫その1はフットマッサージをしてくつろいだらしい。姫その2は予定ではネイルをすると言っていたにもかかわらず、紙袋を両手にたくさんぶら下げカフェにやってくるなり「時間が足りない!」。かなり笑わせていただいた。
嵐の後の静けさというか、私の部屋は静かだったのだと感じつつこの原稿を書いている。10年後にまたパンコールラウトに3人で行く約束、絶対果たしたい。2人とも大好きだよ。
2003年7月 by みよ
私はマレーシアに住んでいるのにバリにまだ足を踏み入れた事がない。シンガポールもそういえばない。日本にいる方にしてみればとてももったいない話だと思う。
同期の1人と1年ほど前から「二人の休みが重なったらバリに行きたいね」と言っていたのだがなかなか休みが重ならず、この度やっと3日間休みが重なったのでそれでは念願のバリに行こう!ということになった。
朝早くから空港に行き、お金を換金し、いよいよカウンターでチェックイン。その時すでに2人の心はバリだった。「1人は問題ないけどもう1人のパスポートではバリにはいけないよ。」とグランドスタッフに言われるまでは。
・・・えっ??????? ってことでわけを聞くと、その同期のパスポートの有効期限が6ヶ月をきっており彼女はそのパスポートではインドネシアに入国できないということだった。
やられた・・・念願のバリが・・・・ わめいても仕方がない。そこで私達は空港で朝食を取りながら(もちろん彼女のおごり)話し合い、せっかくここまで来たのだからどこか別の場所へ行こうということになった。「コタキナバル」「ペナン」「シンガポール」など候補は挙がったのだが、結局バンコクに行くことにした。ということで、朝早く家を出たのにもかかわらず、バンコクに着いたのが夕刻5時過ぎ。2人は疲れ果てさっそくマッサージに行った。「至福」としか形容しようがない2時間はあっという間に終わり、次はタイ料理。やはり本場は違うと思った。そうして私達のバンコク1日目終了。
そしてハプニングはまた起こってしまった。2日目、私達はサウナ状態のマーケットで1日中ねばって買い物をし、荷物の1つをなんと私は電車の中に置いてくるという初歩的なミスをしてしまったのだ。1日中値切って値切って最後にこれだ。疲れも頂点に達した。
3日目、前日の疲れを癒してくれるはずのマッサージは「至福」にはほど遠くまたまた失敗。それを買い物で癒し、なんとかクアラルンプールに戻ったのであった。
オマヌケ2人旅ではあったのだが、実はこの原稿を書いている翌日から2人はスペインへと旅立つ事になっている。無事に帰ってこれるかの不安がよぎる前に無事に行けるかの不安が先立つ私であった。
2003年5月 by みよ
私はマレーシアに住んでおり、実家は福岡。両親の誕生日などの家族のイベント日に実家にいる事ができないのが普通である。せめてもの罪滅ぼしということで、そんな時には必ず電話を入れるようにしている。
先日「今日は母の日だ。」と思い、マレーシアから母に電話をした。母と他愛もない話をひとしきりした後、「いつも家族の為にありがとうね。感謝してます。」とガラにもない台詞を言ったのだが、返ってきた言葉が「母の日は来週だよ!」・・・。やってしまった。
去年友人の誕生日におめでとうメールを入れたら11月11日を11月1日と勘違いし、返事メールが「ん?あと10日後なんだけど。」だった出来事を思わず思い出してしまった。
一週間後に再びマレーシアから母に電話したのだが、母はその電話が私だと分かると笑っていた。 私が母の日を間違った5月4日、マレーシアにいる友人と「今日は母の日だから電話を入れなきゃね。」と話してたところ、その友人も「そうだね。後で入れよう。教えてくれてありがとうね。」と言っていた。この二人の頭のネジが緩んでいるのはマレーシアの熱さのせいという事にしておこう。
後数日に迫った父の誕生日が怖い。
2003年4月 by みよ
最近有休をとり実家に遊びに帰っていた。 久しぶりに学生時代の友人2人と会おうという事になり、そのうちの1人の家へ泊りがけで遊びに行った。2人ともそれぞれ子供がいることもあり、3人揃って会うのはかなり久しぶりだった。学生の頃に戻ったかのように楽しく3人でおしゃべりするのだが、彼女達はりっぱに「母」だった。私の耳には全く入ってこない隣の部屋で寝ている赤ちゃんのかすかな泣き声を敏感に聞き分けていた。それが彼女達にとっては生活の音らしい。この音が私の生活の音になる時が果たしてやってくるのだろうかと心配になってしまった。(笑)
そんなことはいいとして、今回子供達と2日間一緒にいて子供達の素直さに感動してしまった。久しぶりに見る笑顔だった。もちろん私だって笑うし、笑顔が素敵な友人だってたくさんいる。でも私にとってその時見た子供達の笑顔は大人のそれとは一緒の様で大きく異なっていた。世の中が戦争だ、病気だと騒いでる中、また大人たちの世界にもまれながら生活する中、屈託のない笑顔に心が洗われなんだか安心してしまった。
彼らがする行動、表情には計算もなにもない。したいからする、それだけである。そんな彼らを見ていると、計算だらけの世の中が滑稽に思えてきた。世界はそんなにがんばらないでもいいのに、肩の力を抜こうよ、なんて思った。まぁそれは人生をそんなにがんばってない私をなんとか肯定したいだけのような気もする。多分その通りだ。でもあの笑顔は脳裏に焼きつき、当分忘れそうもない。
2003年3月 by みよ
マレーシア人のちょっとした謎について今月は書いてみたい。
マレーシア人は皆とても穏やかな性格で気が長い、と私は常に思っている。日本の繁華街ではどこでも見受けられる様な男性同士の殴り合いの喧嘩や、肩がぶつかったからと言って切れるような人を一度もみた事がない。お酒を飲む所でもお茶をする所でも、聞こえてくるのは笑い声ばかりだ。時間にもルーズというか寛大というか、マレーシア人は遅れることを常としている。待ち合わせに30分遅刻は遅れた内に入らないと言っても過言ではない。待っているほうも「いつか来るでしょ。」という感じで気長に待っている。私はこのマレーシア人のゆっくりとした温和な所は大好きである。
でも、ひとたび車のハンドルを持つと、「同じ人種なのか????」と疑ってしまう。とてもアグレッシブで気が短いマレーシア人のお目見えである。クラクションは当たり前、無理な追い越し急な車線変更、何でもありである。タクシーに乗っていて「死ぬー!」と思った事も何度もある。先日友人がマレーシアに遊びに着た時、彼女が本気で「マレーシアの車にはウインカーがついてないんだ。」と言ったのには大爆笑だった。ないのではなく、使わないのである。
私はいつも「マレーシア人よ。遅れても誰もあなたを怒りはしないのに、一体急いでどこに行く。」といいたくなる。一体どっちが本当のマレーシア人の気質なのか謎だ。この先も分かる事はないだろう。
足裏マッサージ 2003年2月 by みよ
私は週一回ぐらいのペースでマレーシアで足裏マッサージに行っている。お気に入りの店があり、大抵そこに行っている。マッサージを施してくれる中華系のお兄さん達が4〜5人いて、とてもいい人達だし店も清潔感がある。お兄さん達は皆手に固い大きなマメがあり、それがなんとも"ベテランさん"を醸し出してる。実際に皆とても上手い。ちなみにそこにはおばちゃんが1人いて、全身マッサージを施してくれるのだが、それがまたたまらなく良いのだ。
お兄さん達の何人かは少し日本語を知っていて、マッサージをしてて足の裏の痛い所が体のどの部分にあたるのかを日本語で教えてくれる。「腰、肩、内臓」といった感じに。ちょっと笑えるのが「頭」。おそらくお兄さん達は頭痛持ちであると言いたいのだろうけど、まるで「頭が悪い」と言われてるみたいだ。最もそれもあてはまるし、実際にそういいたいのかもしれないのだが。
そんなこんなで、お兄さん達と世間話をしたり、うとうとと寝てしまったりしながら、至福の45分があっという間に過ぎてしまうのだ。
私は1月末に再び魅惑の45分を味わいに店に行くと、お兄さんのうち2人が髪を茶色に染めているではないか!普段は黒色で短髪のさわやか青年風の彼らが一体なぜ?!と言う事でわけを聞いてみると彼らは、「チャイニーズニューイヤーに向けて髪を二人で一緒に染めに行ったんだ。」と少し照れながら言っていた。(今年のチャイニーズニューイヤーは2月1日だった)
思い返せば私も幼い時はお正月に着るお洋服を買ってもらって、それを着るのを楽しみにしてたりしたっけ。彼らはそれと同じ事をしているのだなぁと思うと、未だに少年の心のようなお兄さん達がとてもほほえましく思った。心がなごんだ小さな出来事だった。
2003年1月 by みよ
私がマレーシアに来てからもうすぐ2年が経とうとしている。本当にあっという間の2年だった。私の人生のどの部分の2年間よりも早く感じた。
少し前に「今、秋桜がきれいなのになぁ」とか「紅葉の季節だ」なんて思っていたら、すでにお正月も過ぎ去ってた。もうそろそろ梅がきれいだし、すぐに桜の季節が来る。これらも肌で感じずに過ぎてしまうのかと思うととても寂しい。
日本で生まれ育って20数年、春夏秋冬が私の体の隅々まで染み渡っている事にマレーシアにきて初めて気づかされた。8月といえば夏だし、1月と聞けば極々自然に「冬」や「お正月」のイメージが沸いてくる。なんだかそんな自分が嬉しかったりする。やっぱりどこにいても私は日本人なんだと。
先日マレーシア在住の私の知人が「マレーシアは常に夏なのに、なぜか知らないけど10月頃になると食欲の秋ってかんじで食欲が増すんだよな。」って言ってた。それって食べ過ぎに対するただの言い訳だ!と言われるとそれまでなのだが、私は思わず共感してしまった。「分かるかも!」というマレーシア在住の日本人はたくさんいると思う。
で、マレーシアには季節がないといえばそんなことはなく、雨季などがあるらしいのだが、一体いつが雨季なのかはいまだに不明だ。マレーシア人に聞いても彼らも言う事がまちまちではっきりしない。でも食いしん坊の私は、どうやらここにも食べ物の旬というものがあることに気づいてきた。というのも、マレーシアでは一年中常夏で一年中大好きなマンゴスチンが食べれるとばかり思い油断していた私は、11月頃にマンゴスチンが無性に食べたくなり、買いに行ったのだが、どこにもあるはずがなく、泣く泣くりんごを買った時にマンゴスチンの旬というものを知った。マンゴスチンは今が旬で、スーパーなどで見受けられるようになりかなり嬉しい。。
そうやって日々レーシアの豆知識が増えていってる気がする。そうして将来日本に帰国した時に、「マレーシアの常夏が懐かしい!」なんて言い出す私が容易に想像できる。
|